井村屋の中島は20歳の頃、北陸トンネル列車火災事故が発生しその列車に乗っていたという。トンネル内の食堂車の火災で死者30人、負傷者は714人に。その体験に中島は自分の席の前には子連れの母がいたという。3人の幼い子ども連れで、列車事故が発生した際に火の手がすぐそこまで迫っていたと答え、その母親はその子どもの手を中島に握らせ、その子一人を抱え脱出したという。そのことで3日間生死をさまよったと答えた。その間このまま向こうの世界に行くことができれば楽かもしれないと交錯していたが、意識が回復すると両親が泣いている姿をみたという。そして親子4人が亡くなったことがわかり、目指していた学校の先生になることを断念した。それから家に閉じこもっていたと言うが、父からの手紙が届き、自分の人生の幸せを亡くなった人のためにもみつけてほしいというメッセージが綴られていたという。23歳で井村屋のアルバイトをはじめた中島は、その頃結婚もした。列車事故を経て、中島は夫にずっと働かせてほしいと頼んだというが、亡くなった人の分まで社会の中で恩返しをしたいという気持ちだったと答えた。25歳で中島はアルバイトから正社員へ。50歳の時には関東支店長に就任した。
