タカヤマさんがかくれんぼの道に進んだ経緯を紹介。10歳の頃、日韓W杯で中田英寿に憧れ、目立っていてカッコいいと感じたという。そのこともあり、大学時代は海外に留学した。しかし得にインスパイアされることなくあっけなく帰国し何も得るものはなかったという。その後中田英寿に憧れ行動をするも何者にもなれず24歳に。24歳になり何者かになれる方程式を編み出した。タカヤマさんいわく何者かになれる方法に努力や経験、知識や実力がある人。しかし自身の望みはどこでもできて道具がいらずに知名度と圧倒的に楽しいものはなにか?を追及した。そこからタカヤマさんは自分でも活躍できそうなマイナースポーツを片っ端から調査。そこでかくれんぼ世界選手権の存在を発見した。体力のある知人を集め、チームを結成すると当時は日本にチームはなかったためにそのまま日本代表に。初のかくれんぼ世界選手権へ挑んだ。その結果は30カ国中9位。しかし上位の国とは大差をつけられた状態だったという。上位チームについてタカヤマさんは元傭兵やラガーマンなどがいて、フィジカルが強いという。さらに欧米の強豪国は120ゲームの中で鬼の傾向、得点差、日差しなどを元に戦術を変えてくるという。その悔しい経験を経てタカヤマさんはこのままで負けてたまるかとかくれんぼに人生を全振りすることに。