熊本県の新聞社に保管されている1941年12月7日の夕刊。この日の新聞には緊迫する日米交渉の記事も掲載。翌日の新聞には天気予報欄が消え、米・英と戦闘を開始する記事が掲載された。開戦と共に軍から命じられた気象報道管制。敵国に日本の気象情報を知られないために天気予報は軍事機密とされた。熊本測候所で勤務していた山田さんは、空襲の最中も気温や湿度を観測し続けた当時の状況を振り返る。1945年8月15日。終戦日の気温は31.3℃。湿度は60%だった。気象報道管制は6日後に3年8か月ぶりに解除された。山田さんは2016年に93歳で他界。願っていたのは天気予報が秘密にならない時代が続くことだった。
