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「井本熊男」 のテレビ露出情報

本土から5500km離れたガダルカナル。拡大した勢力圏の最前線として、7月に日本海軍は飛行場を建設した。しかしアメリカ軍は1万を超える大部隊を島に送り、飛行場を奪取した。島を奪い返すために送り込まれたのが、陸軍の部隊だった。後に「血染めの丘」と呼ばれるムカデ高地などが戦闘の舞台となった。この戦いの詳細な映像は残されていない。今回、戦いを再現するために、地形データを計測、島に保存されていた日本軍の歩兵砲など戦闘の手がかりを集めた。専門家の監修のもと、3D空間の中に戦闘を可視化した。日本軍は9月と10月、2度にわたり総攻撃をかけた。アメリカ軍の半分の兵力の日本兵は、精神力を頼りに夜間に奇襲攻撃を仕掛けた。しかし、アメリカ軍は島のいたるところに集音マイクを設置し、日本軍の動きを掴んでいた。この頃日本では、半年以上前の勝利を描いた映画「マレー戦記 進撃の記録」が大ヒットしていた。日本軍がアメリカ軍の反撃に遭っていることを知らずにいた市民は、過去の栄光に喝采を送っていた。一方、軍の首脳たちはガダルカナルで多くの戦死者が出ていると報告を受けていた 。陸軍と海軍の幹部は撤退の判断を下さず互いに責任を押し付けあっていた。先送りされる撤退の判断。ガダルカナルでは食料の補給さえ困難になり、兵士たちはさらに厳しい状況に追い込まれていった。1日に100人の命が失われ、餓えた島「餓島」と呼ばれる惨状にあった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月12日放送 2:09 - 3:03 NHK総合
NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争1942【大日本帝国の分岐点 後編】
1942年12月31日に大本営はガダルカナル島からの徹底を決定した。ガダルカナルに上陸した3万1400人の兵士のうち6000人が戦死しケガや病気で命を落とした人は15000人にのぼる。深田政次はその後も戦地の息子に手紙を送り続けていた。しかし息子の戦死の公報があった。翌年2月大運営はガダルカナル島撤退をてん進と言い換え敗北を覆い隠した。大日本帝国はその後太平[…続きを読む]

2025年3月21日放送 13:00 - 17:00 NHK総合
国会中継参議院 予算委員会質疑
日本共産党 山添拓氏の質疑。戦後80年について「731部隊は満州事変をきっかけに組織が強められ、1938年に中国東北部のハルピン州郊外に大規模な拠点を設け。生物兵器の研究開発を行った部隊。抗日運動に参加したことを理由に中国人・ロシア人を裁判もせずに拘束し、被収容者は丸太ん棒になぞらえ丸太と呼ばれ、3桁ないし4桁の番号で管理し特別監獄に収容された。人間ではなく[…続きを読む]

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