埼玉県川口市のふじみ幼稚園へ。園内では子どもたちが毎日楽しく過ごしている。依頼人は園長の池田彰治さん(46歳)。ふじみ幼稚園は池田さんの曾祖母・美代子さんが昭和39年に開園。今回のお宝は屏風。5年前、幼稚園の楽器庫の整理中に偶然発見。30年ほど前に曾祖母の実家の蔵を壊す時に出てきた屏風を置き場所に困って幼稚園に戻したという。幼稚園でも保管場所に一苦労。本物であれば売却して環境整備に使いたいとのこと。依頼品は狩野探幽・狩野孝信の合作屏風。京都・二条城。徳川将軍家の権威を今に伝える障壁画の数々は狩野派の絵師たちにより描かれたが、その際、陣頭指揮に当たったのは25歳の狩野探幽。狩野派中興の祖にして江戸時代の絵画の基礎を築いた絵師。1602年、京都に生まれ、父・孝信は狩野派を支えた実力派の絵師で、現存する作品は多くないが、端正で気品に満ちた画風は今なお高く評価されている。息子・探幽は父を遥かに凌ぐ画才の持ち主で、13歳の時、2代将軍・秀忠の御前で腕前を披露すると、桃山時代の狩野派を牽引した祖父・永徳の再来と言われた。16歳で御用絵師に抜擢されると、1000坪を超える屋敷を拝領。若くして本家から独立した探幽は一門を統率し、二条城の襖絵製作などの大事業を次々と成し遂げていく。しかし、33歳の時、探幽は狩野派の様式を一変させてしまう。それまでの狩野派は永徳に代表されるように豪放磊落な画風。対象をあえて画面からはみ出して描くことを基本としていた。一方で探幽は瀟洒淡麗。画面の中に対象を収め、たっぷりと余白を取ることで豊かな空間を作り出した。さらに号「探幽斎」と改めると、数々の代表作を生み出した。61歳の時、絵師としての最高位「法印」を得ると、さらに新境地に挑み続けた。縦横の比率が6対1という極端に縦長の画面を用いた「波濤群燕図」は最晩年の傑作。ツバメのスピード感をアニメーションのコマ撮りのように描くことで表現。依頼品は狩野探幽・探幽親子がそれぞれ1隻ずつ手掛けた山水図屏風。探幽の若き日の作品は極めて少なく、父・孝信との合作となればとんでもない大発見に。
住所: 京都府京都市東山区茶屋町527
URL: http://www.kyohaku.go.jp/
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