川端光太朗さんは地震直後は輪島で車中泊をしていたが、両親と離れて姉のいた金沢に避難してきた。金沢でも輪島の伝統である太鼓を練習し、授業もオンラインで受け続けてきた。長引く避難生活の中で家族への思いが強くなっていったという。輪島に残った両親は簡易住宅で暮らしていた。水道工事会社を営む父親が輪島のインフラ復旧に携わっていたから。3月末、光太朗さんは輪島で暮らすためにもどってきた。光太朗さんは帰ってくるなり、父親の仕事の手伝いをはじめた。学校に通いながら、休みの日は父親のインフラ復興の仕事を手伝う。将来は父親の仕事を継いで、輪島の水道をすべてななおすつもりだという。