今年の元日に能登町白丸地区は4.7mの津波に襲われた。多くの住宅が跡形もなく流され、砂山さんもその一人。地震があってすぐに近所の人達と声を掛け合い高台に逃げた。その場所は佛子園が運営する農場施設だった。日本海倶楽部は1998年に佛子園がはじめてごちゃまぜの施設として誕生させた。26年前から障害のある人たちとクラフトビールを製造。レストランもあり、地域の人や観光客が多く訪れていた。さらに耕作放棄地が増える能登町で、障害者がそうした土地を耕し地域の農業を支えてきた。施設長の竹中は震災直後から人々の避難生活を支えてきたが今は復興支援にあたっている。