戦時中、東京の街に「犬の献納運動」の回覧板がまわった。飼い犬を殺処分し、毛皮にするという。宮野るり子さんは母・光子さんの飼い犬が国に差し出された。名前はチー公。この頃、飼い犬などの供出献納運動が押し進められ、1944年には国の通達で全国に展開されていった。当時の日記にはチー公が役場へ連れていかれ、一度逃げ帰った際の様子が記されている。翌日、2回目のお別れをする。当時、国は戦局悪化を打開しようと航空機を増産、飛行服などの需要が高まり深刻な毛皮不足になっていた。専門家は犬猫不要論でエサを食べさせるのは贅沢だという同調圧力のもとに実施されるという。北海道では隣組が飼い犬の戸別調査まで行われていた。殺処分の現場では雪が赤く染まったという。逃れようのない社会的圧力につながっていった。
住所: 東京都八王子市上野町33