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「北海道大学」 のテレビ露出情報

2002年、バブル崩壊から10年。コンピューターメーカー富士通は苦境に見舞われていた。世界的IT不況の中、2万人を削減するリストラが断行された。このころ社内で縮小に追い込まれていた部隊があった。スーパーコンピューター専用機の開発部隊。富士通でスパコン開発の先陣を切ったのはミスターコンピューターと呼ばれた池田敏雄だった。池田はこの先、スパコンが技術開発のカギを握る未来を予見していた。以後日本メーカーはスパコンで躍進したがその開発力は米国の脅威となった。そして90年代、米国は高い関税で日本のスパコンを市場から締め出した。一方不況に陥った日本のメーカーは巨額の開発費に耐えられず事業を縮小していった。このとき富士通で研究の継続を訴える者たちがいた。その一人、奥田基。奥田の専門はスパコンを駆使してのシミュレーション。この時期ある映像を目にしていた。車が衝突した際どんなふうに壊れるかを計算した映像。10年で1000倍進化するといわれたスパコンがついに実験に匹敵する精度に近づいていた。まもなくスパコンが技術開発を根こそぎ変えると直感した。
2003年、覇権を握る米国がさらに次世代のスパコンを目指す国家プロジェクトを始動させた。民間企業だけでは作れない圧倒的なスパコンで他国を一気に引き離す狙い。競争力の根幹を失う危機に日本も追うように国家プロジェクトを本格始動させた。激論の末、富士通も参加。しかしスパコン事業を縮小してからすでに7年が過ぎていた。開発を率いる木村康則の最大の懸案は世界のトップと戦える設計部隊をもう一度作れるかどうか。新たな開発チームは若手が中心。経験の浅い彼らを導ける歴戦のエンジニアがどうしても必要だった。ベテランたちの意見が一致した切り札がいた。それが追永勇次だった、追永は北海道大学出身。ミスターコンピューター池田敏雄が率いたチームで入社わずか2年目にして中心回路の設計リーダーに抜てきされた。入社までコンピューターを知らなかったにもかかわらず先人が残した回路図を読み込みその原理を習得。頓挫することも多い開発で担当した全てのマシンを成功に導いた追永は社内で伝説的な存在だった。しかし開発を率いてほしいという頼みを追永は固辞した。このとき50も半ば。自分が出る幕ではないその一点張りだった。スパコン開発は国家の覇権がかかる一方で「金食い虫」とも呼ばれてきた。失敗すれば損失は数百億。責任者はその重圧にさらされることになる。世界一へのプロジェクトは切り札のいないまま見切り発車で始まった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月16日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
ニホンジカの推定個体数は30年で8倍以上増えた。シカは繁殖力が強く捕獲活動をしないと4~5年で倍増する。また、狩猟者の高齢化や温暖化による越冬に成功する個体が増えている。シカによる被害金額は69億5400円で、森林に被害を与えることで土壌流出につながるおそれもある。専門家は「今後も捕獲数を維持し続けていくことが重要」などと話した。

2025年4月13日放送 12:15 - 13:00 NHK総合
NHKのど自慢(NHKのど自慢)
北海道名寄市を紹介。名寄市の人口は2万5千。なよろ市立天文台にあるのは、一般に公開されている天文台の中では日本で2番目に大きな望遠鏡。名物はお餅。

2025年4月8日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
椙山女学園大学の内藤章江准教授によると、大学の進学率は1950年代~1960年代は10%ほどだったため、学生服を身につけることでエリートであることが伝わったという。しかし、1970年代からは女子学生も増え、カジュアルな服装となっている。そして、バブル期は質の良いものを着用することが見られた。そして、2000年代以降はリクルートスーツが主流となっている。

2025年4月1日放送 18:25 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団私のお宝売ります
戦後最も愛された版画家との異名を持つ斎藤清。1907年に会津坂下町で生まれるが父の事業が失敗し北海道にわたり、母・ルイも亡くなってしまう。唯一の慰めが絵を描く事となった24歳の時に上京し、独学で油彩画を描き続けた。転機となったのは29歳のときで、安井曾太郎の版画を目にすると衝撃を受けて自らも版画の道を志す。初歩的な技法も知らない中で描かれた「少女」は純真な姿[…続きを読む]

2025年3月31日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース1min. Story
釧路海上保安部の砕氷型巡視船「そうや」は、就役してから46年流氷の海の安全を守ってきた。老朽化が進みこれが最後の航海。最後の任務は、研究者を乗せての流氷観察。流氷を研究する北海道大学の豊田威信助教は、流氷に近い位置から目視で流氷全体の量を観測。船上から流氷を採取し氷の成分を分析。気候変動が進む中、流氷の観測を続けてきた。新しい巡視船が就役する予定。

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