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「千夜一夜物語」 のテレビ露出情報

92歳になるアンパンマンの作者・やなせたかしと爆笑問題が対談。アンパンマンは今から約40年前に絵本から始まったシリーズで、発行部数は5500万部をほこる。1988年にアニメ化されると一気に大ブレークした。東日本大震災の後は主題歌「アンパンマンのマーチ」のリクエストがラジオ局に殺到、人々を勇気づけている。やなせたかしが、「アンパンマンのマーチ」を歌った。
92歳になるアンパンマンの作者・やなせたかしと爆笑問題が対談。太田光は、「自爆テロなんかは自己犠牲だと思う。その正義感が、戦争の根底になっている部分もあるじゃないですか」と話すと、やなせたかしは「結構ハイレベルな話しをするじゃない」と返した。92歳になるアンパンマンの作者・やなせたかしが、「正義とは自分を犠牲にして腹をすかせた人を救う事」と説明し、こう思う背景となった自身の戦争体験を語った。
やなせたかしが、アンパンマンに登場する敵のキャラクターのバイキンマンには、人間はばい菌との戦いは永遠に続くというメッセージを込めているとやなせは語る。人間にはいい心と悪い心があり、その関係がばいきんまんとアンパンマンの関係だと話した。
やなせたかしが作詞した「手のひらを太陽に」の誕生秘話を語る。手塚治虫が関西から来てから漫画が全て長編コミックになってしまい仕事がなくなって、その時に電球に手のひらをかざし思いついたと話した。やなせたかしが、手塚治虫がアニメ映画「千夜一夜物語」を作る時に美術監督として誘われ、一緒に仕事をしたエピソードを話した。やなせたかしは手塚治虫と一緒に仕事をして、やはり天才だと思ったことを明かした。
アンパンマンがブームになった時、やなせは70歳ぐらいだったと言い、また、子ども漫画は流行りがすぐ変わってしまうが、アンパンマンの対象は幼児だからあまり変わらないからよかったと話した。
やなせは自分もアンパンマンのように人々に元気を与えたいと考えるようになり、岩手県陸前高田市にある津波を受けても残った奇跡の松の歌を作って寄付することにしたと話す。その「陸前高田の松の木」という歌を披露した。
太田光が、やなせたかしの作品が常に「生きていく」というテーマで変わっていないと言い、また、アンパンマンを何十年も書き続け、現在では日本の主流になっていることはすごいと思うと話した。やなせは作品を作る理由は、人を喜ばせると自分がうれしいからだと語った。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月2日放送 4:05 - 4:15 NHK総合
視点・論点(視点・論点)
1973年に絵本「あんぱんまん」が発売され、88年にはアニメがスタート。今年はアンパンマンの生みの親であるやなせたかし氏の妻、小松暢さんをモデルにした連続テレビ小説「あんぱん」がスタートした。ノンフィクションライターの中野晴行氏はやなせ氏から「恥を恐れてはいけない。大いに恥をかきなさい」と言われたことがあるという。60年代、やなせ氏は舞台芸術を手掛けたり、「[…続きを読む]

2025年1月1日放送 16:30 - 17:00 NHK総合
熱談プレイバック手塚治虫 一代記
手塚治虫は昭和44年に、日本初となる大人向けアニメ「千夜一夜物語」、翌年に「クレオパトラ」を製作したが、虫プロダクションの経営は傾き倒産を余儀なくされた。漫画界で劇画が流行。手塚治虫は「やけっぱちのマリア」や「アラバスター」などを発表したが、
読者にはうけず陰湿だと言われた。週刊少年チャンピオンの壁村耐三編集長の依頼を受け、手塚治虫は医療漫画「ブラック・ジャ[…続きを読む]

2024年12月21日放送 23:00 - 23:30 NHK総合
レギュラー番組への道(熱談プレイバック)
手塚は昭和44年に日本初となる大人向けアニメ「千夜一夜物語」、翌年に「クレオパトラ」を放送。だが、虫プロダクションの経営は傾き、倒産を余儀なくされた。また、漫画界では新ジャンル「劇画」が生まれ、写実的な作画、シリアスなストーリーは人気を博し、少年漫画に進出。手塚の作品は比較され、「お子様ランチ」とも評された。「やけっぱちのマリア」、「アラバスター」などを発表[…続きを読む]

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