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「南ベトナム」 のテレビ露出情報

黒井慶次郎さんは、満州事変の翌年の1932年に召集令状が届き20歳で入隊。中国での戦闘に2年間加わった。その後、太平洋戦争が始まる1941年に再び召集され中国戦線に投入された。当時慶次郎さんがしるした日記には「荒れ狂う北満の寒風の中、砲煙弾雨の中を物ともせず堂々と進む我戦車の偉容」と使命感が表れた勇ましい言葉が並んでいた。しかし戦地から戻った慶次郎さんから勇敢な兵士の面影はなかった。定職につかず家にこもりがちになった。家族が話しかけても返事もしない父を煩わしいとさえ思うようになってしまったという。慶次郎さんは1990年に77歳で他界。悲しみはなかったという黒井さんは、ある出来事で父への思いを一変させた。ベトナムに行ったアメリカ海兵隊のアレン・ネルソンさんのDVDを見て、自分の父と重なったという。1965年からベトナム戦争に参戦したアメリカでは、戦地から帰還した兵士たちの多くが精神障害を発症。その後の研究でアメリカ精神医学会がPTSD(心的外傷後ストレス障害)という病気の実態を発表。自分の父親もPTSDだったのではと考えた時、黒井さんの胸に込み上げてきたのは後悔の念だった。黒井さんは自宅の一角に資料館を作り、日本兵のPTSDについて語り合う集いを開催しながら、この問題を広める活動を続けている。日本兵を診察したカルテにも、PTSDと思われる症状が記されていた。しかし日本兵のPTSDは戦後長い間知られることがなかった。その理由について、長年研究している上智大学・中村江里准教授は「兵士自身が戦争について語らなかった方が多い。世界最強の軍隊には心を病むような兵士はいないと国が盛んに言っていた」などと述べた。国家による否認と精神疾患に対する強い差別がダブルでかかっているという。戦争により壊れてしまった家族が自分以外にもいると、黒井さんは仲間を募り国に対し戦争によるPTSDの調査と公開を呼びかけてきた。そしてついに先月、戦後国が調査した資料が公開された。兵士たちがPTSDにより苦しんでいた歴史を、国が認めた1つの転換点。黒いさんは「本当に人生をPTSDで棒に振ったんだから、我々の父親のような祖父のような兵士を生まない、つまり戦争しない、なんとしても日本の世論になるように声を仲間と一緒に出し続けていきたい」などと述べた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月1日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道SPOT LIGHT INTERNATIONAL
冷戦の最中、南北に分かれていた当時のベトナム。旧ソビエトや中国の支援を受ける北ベトナムに対し、共産主義の拡大をおそれたアメリカが今のホーチミンを首都とする南ベトナムを支援。1965年には本格的に介入し戦争は泥沼化していく。そして50年前のきょうサイゴンが陥落し、戦争は終結した。ベトナム側の死者は兵士や民間人合わせて300万人以上といわれ、多くの子どもたちも傷[…続きを読む]

2024年12月29日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日テレビ報道70年 8つの禁断ニュース
東京・銀座では“報道の自由を守ろう”というビラが配られた。狙われたのは1人のニュースキャスター。田英雄は日本のニュース番組に初めて登場したキャスター。自身の意見を口にするニュースキャスターは時の政権から圧力を受けた。ベトナム戦争は南ベトナムを支援する米国と、北ベトナムを支援するソ連、中国との代理戦争で米国による攻撃は北爆と呼ばれた。戦闘は市民を巻き込み痛まし[…続きを読む]

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