サムライたちが天守の建設を担った一方、大工棟梁の中井正清は天守・御殿の建築責任者となっていた。家康から全幅の信頼を寄せられ「大和守」という役職名を与えられていた正清は大酒飲みとして知られていたが関ヶ原以降、家康の城のほとんどに関わった稀代のカリスマ大工だった。全国各地から集まる土木作業員と意識を共有するため図面を作りそれをもとに工事を行うという最先端の建築を実施。正清が造る天守の特徴は「塔のような均整のとれた美しさ」。この時代、同じ形の構造物を積み重ね建築を行うことが可能となり、高い塔のような天守が造られるようになった。天守は単なる軍事要塞の意味を越え、当時最高峰の建築物となっていった。名古屋城建設のために集められた大工たちは総勢541人。天守の建築を急ぐよう命じる書状を受け取った正清は天守の工事担当者を増員し、ベテラン大工には柱や梁の工事を担当させ新参者の能力は正当に評価するなど適切な采配を振るった。この時代に一種の勤務評価をつけていたことは非常に先駆的なことで自らできる大工を選定していたことがうかがえる。
住所: 愛知県名古屋市中区本丸1-1
URL: http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
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