昭和47年、43歳の良二は中古のライトバンを購入。そこに「太平洋と日本海を桜でつなごう」と大きく書いた紙を貼り付け、高三とともに来る日も来る日も苗木を植え続けた。金沢の兼六園には1500本目の桜を植樹。ついに名金線の端から端までを桜でつないだ。続いて良二が考えたのは桜のトンネル。約30万本の苗木を必要とする大計画だったが、金沢から戻った良二の体はもう限界を迎えていた。再入院した良二はかろうじて退院にこぎつけたがバスの業務に戻っても体調は不良のまま。周囲の心配の声には耳を貸さずそれでも桜を植え続けた。昭和49年にはがんを併発。桜の植樹は断念しなければならないという葛藤の中、自宅の裏庭には荘川桜の実を植えた。実を結ぶひとつひとつに名をつけ大切に育てたという。これを植えれば400年続く桜のトンネルが完成すると夢を見ていたがついに危篤状態に。駆けつけた高三と言葉を交わした後、47歳で死去。47年の生涯のうち12年を植樹活動に捧げた人生だった。
