- 出演者
- 池上彰 夏井いつき
オープニング映像。
今回、1984年放送の「北陸東海 桜紀行 ~名金線・もう一つの旅~」を再放送。太平洋から日本海まで桜の道でつなぐ、という夢を追い続けたある男性のドキュメンタリー。ゲストは俳人の夏井いつきさん。俳句にとって桜は重要な要素なんだそう。
名古屋~金沢間を走る国鉄バス名金線。その車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。約270kmの間に30万本を植えることが夢だった。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。生まれは岐阜県白鳥町。15歳で国鉄に入社。青春時代は生きる意味を見いだせず絶望していたが、尊敬する作家・武者小路実篤から「自分の道を探すこと」を勧められ、地元の御母衣ダムに咲く樹齢400年の桜にそれを見出した。かつて湖底にあった村には大きな桜があり、それが移し替えられたのがこの桜。自分も桜を植えようと決意したのはこの時から。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。当初は地元・岐阜の近辺に植林。木々は今も残っている。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。その幼なじみで運転手の佐藤高三さん。良二さんの情熱に打たれ、この活動に協力してきた。良二さんの夢は、100本目を植えた岐阜・油坂峠に桜の公園を作ること。この日は桜が雪に埋もれていた。良二さんの兄・姉は、毎年これを掘り起こしている。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。植えた桜は今も残っていて、住民から親しまれている。兼六園には、良二さんが植えた2000本目の桜がある。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。石川県輪島市に住む教師の平松さんは、良二さんの心に感動して「桜並木を輪島まで伸ばそう」と誓い合った人物。良二さんから苗木を分けてもらうなどした。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。昭和51年、良二さんは病に倒れた。病床でも「まだ植えなくちゃいかん」と話していたそう。12年間に2000本の桜を植え、昭和52年に47歳で逝去。協力者の佐藤高三さんは昭和57年、52歳で逝去。
ここまで、1984年放送の「北陸東海 桜紀行 ~名金線・もう一つの旅~」を再放送。良二さんが書き残していた日記を紹介。自身の活動について、「一人で穴を掘り そして美しい花をさかせ そして死んでゆくのがオレの人生だ」「人のためにやる仕事ではない」「美しい花を見て死んでゆきたい」など綴っている。良二さんが亡くなったあと、妻は自宅の桜を観て「お父ちゃんが花になって帰ってきよった」と話したという。
ここまで、太平洋から日本海まで桜の道でつなぐという夢を追い続けた佐藤良二さんのドキュメンタリーを再放送。その続編「ふるさとの桜 ~荘川桜 50年の物語~(2011年)」をダイジェストで紹介。植えられた木々は今も各地に残っている。
地元・岐阜のダムに沈んだ村に咲いていた桜の種をとり、直接の子孫を残すことに尽力してきた佐藤良二さん。その頃は不治の病に侵されていて、苗を育てることが良二さんにとって生涯最後の挑戦だった。芽が出たのは初めて種をまいてから5年後。苗は希望者に譲っており、遠くは高知県まで届けられた。その桜は今も残っている。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。苗の1つは名古屋・枇杷島小学校に今も残っている。この日は入学式。新入生らを出迎えた。
ここまで、太平洋から日本海まで桜の道でつなぐという夢を追い続けた佐藤良二さんのドキュメンタリーの続編「ふるさとの桜 ~荘川桜 50年の物語~(2011年)」を再放送。俳人の夏井さんによると、日本には桜(=花)にまつわる季語が多くある。「それが、日本の俳人たちが桜を愛している理由の1つになる」などコメント。日本の桜を巡礼して回る活動をしていた師匠で俳人の黒田杏子が詠んだ「花を待つ ひとのひとりと なりて冷ゆ」「身の奥の 鈴鳴りいづる さくらかな」などの句を紹介。
国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二さんは、その沿線に桜を植える活動を続けてきた。石川県輪島漆芸美術館には、良二さんの苗から育った桜が残っている。去年の度重なる災害にも耐えてきた。
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