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「アメリカ国立公文書館」 のテレビ露出情報

2006年放送の「NHKスペシャル 硫黄島玉砕戦 ~生還者61年目の証言~」が流れた。第二次世界大戦の激戦区だった硫黄島玉砕戦の記録はアメリカ国立公文書館に記録がある。そこには3月に玉砕したはずの日本軍が5月になっても生きており、週に100人単位で戦死していたという記録がある。硫黄島玉砕戦を生き残った生還者は戦後に多くは語ろうとしなかった。元下士官の金井啓さんは死んだ戦友のために毎日冷たい水を仏前に供えることを日課にしているという。水は死ぬ間際の戦友が一番欲しがったものだったという。
もう一人、硫黄島の戦いから生還した大越晴則さんに会うことができた。大越晴則さんは戦友のために全国の霊場巡りをしてきており、戦場の記憶を語るべきなのか悩んできたという。硫黄島がアメリカから返還されたのは1968年。以来島は自衛隊の管理下に置かれている。島のあちこちには日本軍の地下壕が残っており遺骨は未収集の状況だ。当時の最高指揮官は栗林忠道中将で、島を死守せよと命じられており、兵士たちにとっては逃げ場のない戦場だったという。そこで当時の状況について大越晴則と金井啓、ピーター・ベナーベッジ、アル・ペリーが語った。
大本営は硫黄島の厳しい戦況をただ見守るだけだった。日本軍は硫黄島の支援方針を「敵の手に委ねるのも止むなし」ということだったという。元海軍少尉の大曲覚さんは硫黄島で軍組織が崩壊していく現場に直面したと当時の状況について語った。指揮官だった栗林忠道中将は配下の部隊と連絡が取れなくなり、司令部の放棄を決定し大本営に打電した。最高指揮官が死亡した後も地下には数千人の日本兵が潜んでいたと言われている。
海軍の通信兵だった秋草鶴次さんは硫黄島での記憶が頭を離れないという。秋草鶴次さんは最近になって硫黄島での体験を手記の残そうと考えるようになった。そこには戦争の惨さを記載していた。指揮官が亡くなった後も多くの日本人が残っていたので、米軍は大規模な掃討作戦を行った。そこで当時の状況についてジェラルド・クラッチさん、金井啓さん、大越晴則さん、竹内昭さん、大曲覚さん、アル・ペリーさんが語った。
2006年の硫黄島で遺族らによる戦没者の慰霊祭が行われていた。この島の地下には現在も1万を超える遺骨が収集できずに眠っている。
スタジオではVTRを見た勝村政信が「言葉にならないですね」と感想を語った。勝村政信は母親が小学生の頃に兄の療養のために戦場になる前の硫黄島に住んでいたことがあるということで、当時の硫黄島は「いい島だった」と語っていたと勝村政信は語った。
2024年栃木県足利市。生還者の一人である秋草鶴次さんの秋草茂之さんに話を聞いた。秋草鶴次さんは書き溜めてきた硫黄島の体験を番組放送後に2冊の本にまとめた。秋草鶴次さんは放送の2年後に戦後初めて硫黄島を訪問したという。そして講演や証言などで硫黄島の真実を最後まで伝え続けた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月3日放送 1:03 - 1:57 NHK総合
NHKスペシャル(NHKスペシャル)
1949年7月5日午前、日本国有鉄道の下山定則総裁が行方不明となり、翌日に轢死体で見つかった。現場付近にある旅館の女将は「午後2時から5時半まで上品な男が休憩していた」と証言し、身なりなどの特徴は下山総裁の服装と一致。複数の通行人は似た人物が現場付近を徘徊する姿を目撃し、捜査一課は国鉄の人員整理に悩んでいたことから、総裁が自死したと推理した。一方、捜査二課、[…続きを読む]

2025年1月28日放送 23:00 - 23:56 TBS
news23戦後80年プロジェクト つなぐ、つながる
戦後80年プロジェクト つなぐ、つながるを放送、今夜は、終戦から僅か1年後に行われた花火大会の秘話をひもといていく。村瀬煙火は79年前、ある特別な花火大会に参加、それは戦後全国で初めて行われた花火大会だった。長い戦争が終わり、戦後初となる花火大会は終戦から1年後の1946年8月10日、長良川で行われた。10万人以上の観衆が集まった。現正寺住職・高木慈興さんは[…続きを読む]

2025年1月16日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルANN NEWS
今年は戦後80年。太平洋戦争の激戦地となった硫黄島で戦没者追悼式が行われ、遺族は「事実を風化させない」と訴えた。1945年の太平洋戦争末期小笠原諸島の硫黄島では米軍との間で激しい戦闘が繰り広げられ、旧日本兵らおよそ2万1900人が命を落とした。今日の追悼式では、日本側の守備隊を指揮した栗林忠道中将の孫が遺族を代表して追悼の言葉を述べた。

2024年12月12日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道(ニュース)
きのうノルウェー・オスロで行われた日本被団協へのノーベル平和賞授賞式、式典にはブラジルに住む被爆者も出席した。これに先立ちブラジル・サンパウロではコンサートが開かれた。「イパネマの娘」などを書いた詩人ヴィニシウス・デ・モラエスは第二次世界大戦中から外交官として勤務するなか広島への原爆投下を知り衝撃を受けた。自らの作品の中で大切なものを「バラ」と表現することが[…続きを読む]

2024年12月9日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zero(特集)
日本時間の昨日ハワイで行われた真珠湾攻撃の追悼式典。旧日本軍が83年前に行った攻撃は3年9か月に及ぶ太平洋戦争の発端となった。その日本軍の出撃の地は北方領土の択捉島。今もロシアによる不法占拠が続いている場所。向田典子さんはかつて北海道の北東部にある択捉島に住んでいた。択捉島のヒトカップ湾に軍艦およそ30隻が集結。数日後には一斉に出撃した。向かった先は米国ハワ[…続きを読む]

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