「クリームシチューができたのは一人の日本人が日本の子どもたちを救いたいと思ったから」について、食文化研究家の畑中三応子さんが解説。クリームシチューは日本発祥の料理。昭和20年、終戦直後の日本は危機的な食糧難に陥っていた。人手不足による食料・肥料の生産が困難になったこと、冷夏による農作物の不作、兵士・民間人300万人以上が一斉に帰国してきたことなどが原因にあった。栄養不足による餓死者は年間9000人以上にのぼったとされている。特に育ち盛りの子どもたちが一番被害を受けた。そんな状況に心を痛めていたのが、アメリカで新聞記者をしていた浅野七之助。浅野はアメリカで記者仲間を集めて邦字新聞社を設立し、終戦の翌年に創刊号を発行。その中で、食糧不足に苦しむ日本の惨状を書き、寄付をお願いした。この記事は、多くの在米日本人、さらにはアメリカ人の教育団体の目に止まり、浅野の活動を支援しようと新聞の購読者が激増。多くの寄付金が集まった。浅野が始めた日本戦災難民救済運動はアメリカで日本人を救う運動へと発展。新聞発行から6か月後には食糧95000kgを日本に送ることができ、物資援助は6年間続いた。この救援物資はララ物資と呼ばれるものの始まりとなり、戦後の日本人を支える重要な支援としてアメリカ政府を巻き込んだ救済活動になっていた。ララ物資の中にクリームシチュー誕生のきっかけとなるものがあった。それが脱脂粉乳。栄養たっぷりの脱脂粉乳だったが、味の評判は悪かった。後に、その脱脂粉乳に転機が訪れる。今のクリームシチューの原形となる白シチューが誕生。白シチューが誕生した経緯の史料はほとんど残っていない。ただ、使われていた材料やレシピ資料から推測するに、おいしくない脱脂粉乳をなんとか子どもたちに食べてもらおうと改良した形跡がみられるという。
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URL: http://www.ndl.go.jp/
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