先月6日、東北新幹線で走行中の車両の連結部分が外れるトラブルがあった。2017年には新幹線のぞみで異臭・異音を認識しながら3時間以上走行を続け、台車から破断寸前の亀裂が見つかった。こうした重大インシデントは身近で起きている。2005年に起きたJR福知山線脱線衝突事故をきっかけに鉄道の安全対策は大きく変わった。被害者への取材を通して学べることは何か考える。
JR福知山線脱線衝突事故。平成以降で最も多い犠牲者を出した鉄道事故で、乗客106人と運転士が死亡し562人が負傷した。JR西日本の快速電車が制限速度70km/hのカーブに時速116/hで侵入し脱線、1両目は線路脇のマンションの駐車場に突っ込み、2両目はくの字に折れ曲がった。57人が亡くなった2両目で後ろの方に座っていた小椋聡さん。当時の状況を正確に伝えようと模型を作った。「ものすごい勢いで座っている人も立っている人も全部前方に飛ばされていく場面を覚えている。卵パックを握りつぶすような状態」と振り返った。生かされた者としてできることは何か。遺族と交流する中で、電車内のどこにいたのかを知りたいという遺族の思いを知り、犠牲になった人たちが最後にいた場所を聞いて回った。最終的に10人以上の車両が判明し、うち2人は乗車位置まで特定できた。小椋聡さんが出版した「わたしたちはどう生きるのか」は事故の被害者などがつらい・悲しいことから人生をどう生きてきたかヒントを詰め込んだ一冊。執筆者の1人、福田裕子さんは友人と一緒に1両目に乗車していて、骨折などの大怪我をした。福田さんは事故が風化するのを防ごうと毎年しおりに救出されたときに青空が見えたことから、青空を描いて沿線の駅で配っている。福田さんは事故以降、人の形をはっきり描くことができなくなったという。
事故の被害者への対応で小椋さんと出会ったJR西日本の元社員、高本桂也さん。JR西日本では事故のあとに入社した社員が全体の約7割にのぼる。あの日、若い運転士が直前の駅で所定位置を72m越えて停車し、定刻から1分以上遅れて出発した。当時オーバーランなどを起こした運転士は乗務から外され反省文を書かされるるなど懲罰的な日勤教育が課せられた。事故を招いた背景には日勤教育の影響があると指摘されている。昨日、JR西日本のトップに当時の日勤教育の反省は今どう生かされているか聞いた。長谷川社長は「会社としての仕組みの欠如、組織事故であるという認識を持ったうえで社員が生き生きと活躍してもらえる、安全性の向上に努める組織になっていきたい」などと話した。事故の痕跡が残る場所は保存され、祈りと共に安全とは何かを伝え続ける場所となっている。小椋さんは「物事の伝え方が大事という気がしたのがこの20年目だったと思う」などと語った。この事故を受け、様々なことが変化している。JR西日本では投げ出し防止のための仕切りやポールなどが設置されるように。JR東日本では列車を止めるための無線の自動発報装置を開発。東京メトロでは車両の動作状態の遠隔モニタリングを行っている。取材を通してディレクターが言いたかったことは小椋さんの言葉「社員の幸せと安全」。
JR福知山線脱線衝突事故。平成以降で最も多い犠牲者を出した鉄道事故で、乗客106人と運転士が死亡し562人が負傷した。JR西日本の快速電車が制限速度70km/hのカーブに時速116/hで侵入し脱線、1両目は線路脇のマンションの駐車場に突っ込み、2両目はくの字に折れ曲がった。57人が亡くなった2両目で後ろの方に座っていた小椋聡さん。当時の状況を正確に伝えようと模型を作った。「ものすごい勢いで座っている人も立っている人も全部前方に飛ばされていく場面を覚えている。卵パックを握りつぶすような状態」と振り返った。生かされた者としてできることは何か。遺族と交流する中で、電車内のどこにいたのかを知りたいという遺族の思いを知り、犠牲になった人たちが最後にいた場所を聞いて回った。最終的に10人以上の車両が判明し、うち2人は乗車位置まで特定できた。小椋聡さんが出版した「わたしたちはどう生きるのか」は事故の被害者などがつらい・悲しいことから人生をどう生きてきたかヒントを詰め込んだ一冊。執筆者の1人、福田裕子さんは友人と一緒に1両目に乗車していて、骨折などの大怪我をした。福田さんは事故が風化するのを防ごうと毎年しおりに救出されたときに青空が見えたことから、青空を描いて沿線の駅で配っている。福田さんは事故以降、人の形をはっきり描くことができなくなったという。
事故の被害者への対応で小椋さんと出会ったJR西日本の元社員、高本桂也さん。JR西日本では事故のあとに入社した社員が全体の約7割にのぼる。あの日、若い運転士が直前の駅で所定位置を72m越えて停車し、定刻から1分以上遅れて出発した。当時オーバーランなどを起こした運転士は乗務から外され反省文を書かされるるなど懲罰的な日勤教育が課せられた。事故を招いた背景には日勤教育の影響があると指摘されている。昨日、JR西日本のトップに当時の日勤教育の反省は今どう生かされているか聞いた。長谷川社長は「会社としての仕組みの欠如、組織事故であるという認識を持ったうえで社員が生き生きと活躍してもらえる、安全性の向上に努める組織になっていきたい」などと話した。事故の痕跡が残る場所は保存され、祈りと共に安全とは何かを伝え続ける場所となっている。小椋さんは「物事の伝え方が大事という気がしたのがこの20年目だったと思う」などと語った。この事故を受け、様々なことが変化している。JR西日本では投げ出し防止のための仕切りやポールなどが設置されるように。JR東日本では列車を止めるための無線の自動発報装置を開発。東京メトロでは車両の動作状態の遠隔モニタリングを行っている。取材を通してディレクターが言いたかったことは小椋さんの言葉「社員の幸せと安全」。