平成13年に発表した「蜜柑色の夏休み」、母方の祖母貞子さんの思い出を歌っている。福山さんは祖母の蜜柑農園に行くのが楽しみだったという。ここからは母方のルーツ山口県をたどる。大正11年に生まれた祖母の貞子さんが育ったのは福岡県大川市。貞子さんのいとこの高田泰さん93歳。貞子さんは大川市で商店を営む高田家の長女だった。すぐとなりに住んでいた泰さんは貞子さんを姉のように慕っていた。昭和18年、貞子さんに縁談が持ち上がる。相手は蜜柑農園の長男・山口力磨さん。商家の娘に農家の嫁がつとまるのか不安を覚えたが貞子さんは結婚を決断。山口家は大村湾を望む長崎・大草村にあった。結婚した貞子さんはすぐに農作業に追われ山の斜面を利用した蜜柑の栽培は重労働だった。昭和20年待望の第一子で後に福山雅治の母となる勝子さんが誕生した。2人にはその後4人の子供が生まれた。しかし昭和32年に力磨さんが若い頃から患っていた腎臓が悪化したことにより40歳で亡くなった。貞子さんは女手一つで蜜柑農家を続け収入を増やそうと蜜柑畑を広げていった。