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「海軍」 のテレビ露出情報

1943年10月、明治神宮外苑で行われた学徒出陣。その中にいた慶應義塾大学の1年生・塚本太郎さんは、水球のゴールキーパーとして活躍。アジア大会の日本代表にも選ばれた。特攻作戦の末、21歳で亡くなった。塚本さんは、かつて海軍の基地があった山口・大津島で、特攻の訓練を行った。回天は、艦船を攻撃する魚雷に人間が乗り、体当たりする兵器。全長14.75mで、先端には約1.6トンの爆薬が搭載されている。胴体の直径は1m。塚本さんは、回天の搭乗員だった。出撃した80基の回天のなかで、敵艦に打撃を与えたのは8基のみだった。大津島の回天記念館には、実物大の回天のレプリカが展示されている。回天は中に入ると、海では水圧がかかるため、出入り口を開けることはできなかったという。塚本さんと同じく回天の搭乗員として訓練を受けていた岩井忠正さんは、これが貴様たちの棺桶だと言われたという。開館から50年を迎える記念館で公開されたのは、塚本さんの肉声。家族への思いを穏やかに語った後、日本人であることを忘れてはならないなどと国への気持ちを語った。2分33秒の声の遺書。1945年1月、塚本さんの部隊が出撃。出撃前日、塚本さんは同じ大学の岩井さんのもとを訪ね、握手をかわしたという。回天作戦では、106人の搭乗員が戦死し、乗組員などを含めると1299人が犠牲となった。大津島には、回天を海に運んだトンネルなど、基地の跡が残されている。塚本さんは出撃前に、実家に帰省し、家族写真を撮影していた。声の遺書は、母親の遺品から見つかった。父親の録音機で吹き込んだという。一回り下の弟・悠策は、音声について、兄は家族思いだった、鼓舞する意味を言っているんだと思うなどと話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月15日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
旧海軍時代から合図を送る手段として使われてきたラッパ。戦時中に使われていたラッパが今年、広島・福山市人権平和資料館に寄贈された。持ち主は102歳で亡くなった中村忠雄さん。1942年に海軍入り、翌年に海軍航海学校に入学し信号兵の職務を学んだ。ラッパはそのころに起床や就寝などの合図を出す際に使っていたもの。展示は今月14日から。

2025年8月31日放送 2:45 - 3:30 NHK総合
北海道スペシャル(北海道スペシャル)
19世紀以降、何度も国境線が引き直されてきた樺太・千島列島。内地からの移住者が開発を進め、1940年には人口40万人に。当時は新聞以外に情報を知る手段がなかったが、日本放送協会がラジオを設立。当時の政府はラジオを利用して国論統一を図る動きを進めていたこともあり、設立は急ピッチで進められた。
かつて樺太に設置された日本放送協会のラジオ局「豊原放送局」。開局目[…続きを読む]

2025年8月25日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(NNNドキュメント’25)
元軍医の蒲原宏さん。1923年、新潟市内の寺の長男として生まれる。18歳で太平洋戦争が始まると、「生きものを殺さない」という仏教の戒律を守るため医者を目指す。1945年2月、鹿児島の基地に軍医として配属される。このころの日本は劣勢。44年10月、搭乗員もろとも体当りする特攻作戦が始まった。当時蒲原さんが命じられたのは、特攻兵にヒロポン(覚醒剤)を投与すること[…続きを読む]

2025年8月14日放送 22:00 - 23:56 TBS
戦後80年特別番組 なぜ君は戦争に?(海に眠る飛行機の謎)
偵察機に登場していたという兵士の親族・梶原五昭さんは叔父の梶原龍三さんを紹介してくれた。鹿児島の離島であり漁業盛んな甑島の三男だったといい、父がケガをして働けなくなると食うや食わずの生活の中で家族の生活を少しでも楽にしようと海軍に志願したという。龍三さんは偵察機で6機の敵機を相手に抵抗を続け、搭乗員2人が死亡する中最後方から舵を取り不時着を成功させたという。[…続きを読む]

2025年8月14日放送 15:45 - 19:00 フジテレビ
イット!戦後80年 いま、平和ですか
愛媛県愛南町にある「紫電改展示館」。その中央に静かに佇むのが旧日本海軍で幻の戦闘機と言われた「紫電改」。太平洋戦争末期に最新鋭の戦闘機として生産され、当時は日本の航空技術の到達点とまで言われた。最大の特徴は自動空戦フラップと言われる装置。旧日本海軍の熟練したパイロットの多くが戦士したため、経験の浅いパイロットでも敵の攻撃をかわしやすくするため旋回する性能を高[…続きを読む]

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