ジョン・カビラさんの父の川平朝清さんは1927年、日本統治下の台湾で生まれ、沖縄戦では陸軍の兵士として訓練を行っていた。台湾から両親の故郷である沖縄に引き上げたのは終戦から1年以上が経った1946年12月。船から沖縄を見た母親の「山河も残らなかったわね」という言葉が今もなお忘れられないという。朝清さんは「母にしてみれば昔の沖縄じゃないという気持ちが強かったと思う」と話した。朝清さんは1949年、兄が設立したラジオ局で戦後沖縄初のアナウンサーとなった。アメリカ統治下にあった沖縄での放送は苦労も絶えなかった。 朝清さんは「1952年に日本が独立を回復すると、途端にNHKの報道番組は反米的であると中継させなくなった」と話した。アメリカによる検閲が行われ、日本の情報を届けることが難しい時代。生放送は許されなかったが、録音したニュースは内容を検閲できないため放送できた。1972年、沖縄は返還されたが複雑な思いは拭いきれなかった。朝清さんは「沖縄の我々にとっては一番大事な変えてもらいたかったことは米軍駐留。これが全くそのままで返還された。施政権は得たが、主権は戻らなかったと思う」と話した。1992年まで放送事業に従事した朝清さんがあの時代を生きたからこそ今の日本に思うことは「今も至るところで戦争が起きている。そういったことを話し合う機会は持つべき。駐留するならその国に駐留費をもっと払えというのがトランプさんの考えかもしれないが、逆手にとって、そういう思いでしたら駐留は結構です、『どうぞ出て行ってください』と言える政府であってほしいなと思う」と話した。