照ノ富士親方の力士生活を振り返った。まずは番付の推移を紹介。平成23年5月に初土俵を踏んだ。平成27年夏場所で初優勝。その時の取組を振り返った。大関に昇進するも膝のケガや糖尿病で序二段まで下がった。引退をしなかった理由を聞かれ照ノ富士は「親方に今の状況をほっとけない、病気を治してから話しにこいと言われた。病気を治したら筋肉がつくようになった。親方に戻ってきたからやれるだろうと言われ、スイッチいれてやった」などと話した。平成31年、春場所で序二段からスタートした。1人横綱について照ノ富士親方は「横綱になるまでは強くなりたいだけで稽古してたけど、なったらなったらで声援や環境、、国技をまもるためにあるんだなと実感して、次の横綱がでてくるまで頑張るんだっていう意思があった。ちょうどそういうタイミングだったからやれることはやったと思う」などと話した。