サッカー元日本代表・遠藤保仁さんは長く日本代表として活躍したサッカー界のレジェンド。おととし引退して、今はJ1のガンバ大阪でコーチを務めている。桜島出身の遠藤さんは高校卒業後、Jリーグで26年間プレーした。日本代表としては歴代最多の152試合に出場。ふるさとの桜島の存在は今でも特別だという。遠藤さんが少年時代を過ごした島内の桜洲小学校と桜島中学校は先月末で閉校となった。サッカー漫画「キャプテン翼」が人気を集めた1980年代、遠藤さんはサッカーに夢中な小学生だった。サッカー熱の高い地域で子どもたちの試合結果が防災無線で知らされるほどだった。校舎に掲げられた4つの言葉は卒業から30年以上経った今でも遠藤さんの記憶に残っている。遠藤さんが所属していた地元の少年団は県内屈指の強豪だった。兄2人も高校サッカーやオリンピックで活躍。サッカーの「遠藤3兄弟」と呼ばれていた。遠藤さんは小学校時代を「今の自分に繋がっている。各世代でいろいろな思い出だったりとか、閉校しても変わらないことなので、いつまでたっても誇りに思う」と振り返った。
Jリーグが誕生した1993年、遠藤さんは中学生になっていた。桜島中学校はサッカーをするために島外から生徒が集まるほどの強豪校だった。練習を重ねたグラウンドは土から芝生に変わっていた。当時は桜島の火山灰が降り積もるグラウンドでひたむきにボールを追った。グラウンドの壁の直径5cmほどの排水の穴を狙って繰り返しボールを蹴った。豊かな自然と切磋琢磨できる仲間に囲まれた中学時代は遠藤さんの心に深く刻まれている。閉校した母校には感謝しかないと語る遠藤さんは、新たな学び舎となる「桜島学校」で過ごす子どもたちにエールを送った。遠藤さんは桜島の先輩として節目の春を迎える子どもたちへ「楽しめ!!」とメッセージを書いた。
Jリーグが誕生した1993年、遠藤さんは中学生になっていた。桜島中学校はサッカーをするために島外から生徒が集まるほどの強豪校だった。練習を重ねたグラウンドは土から芝生に変わっていた。当時は桜島の火山灰が降り積もるグラウンドでひたむきにボールを追った。グラウンドの壁の直径5cmほどの排水の穴を狙って繰り返しボールを蹴った。豊かな自然と切磋琢磨できる仲間に囲まれた中学時代は遠藤さんの心に深く刻まれている。閉校した母校には感謝しかないと語る遠藤さんは、新たな学び舎となる「桜島学校」で過ごす子どもたちにエールを送った。遠藤さんは桜島の先輩として節目の春を迎える子どもたちへ「楽しめ!!」とメッセージを書いた。
