パラオ・ペリリュー島で兄が戦死した丁子八重子さんと、小隊長だった父が戦死した田中恭子さんが遺骨を探すため島を訪れた。太平洋戦争で激戦が繰り広げられたペリリュー島には、今も約2400人の日本人の遺骨が残ったままとみられる。1944年、ペリリュー島に米軍が上陸し、滑走路を奪うため激しい攻撃を仕掛けた。日本側は戦車隊や歩兵を中心に必死に抵抗し、1万人以上が戦死した。戦車隊は滑走路の近くで全滅し、米軍は遺体を残したまま戦車を埋めたとみられている。島内には数十年前に掘り出された日本軍の戦車が展示されていた。島では戦車を地中から掘り起こす作業が進んでいて、戦車を発掘した調査団は今後資料をもとに戦車名の特定を進め、発見した遺骨の鑑定を行う予定。80年帰らぬ家族を待ち続けた2人は、島を訪れるのを今回で最後にしようと覚悟を決めていた。