大学時代にスキューバダイビングに熱中した小坂さんは、水産高校で海の楽しさを伝えたいと2001年に福井県立小浜水産高等学校に赴任した。しかし初日、職員室で挨拶をすると「なんでこの学校に来たんや、もう潰れるで」と言われた。志望者が減少し、他の学校に行けなかった生徒の受け皿になっていた。小坂さんの担当は食品工業科。授業をしても生徒は床で寝続け、昼休みにはタバコ片手にたむろしていた。中でも西さん、辻さん、渡邉さんの女子生徒3人組に手を焼いた。同僚の桝田教諭に声をかけられ、小坂さんは涙を流したという。桝田さんは生徒から一目置かされている教師だった。小坂さんは増田先生は本当に子どもたちと同じ目線に立って一緒にやっていくスタンスが常にあったと振り返った。小坂さんは自分も生徒と同じ目線で向き合おうと考え、家庭問題で学校を休みがちだった渡邉さんの悩みに耳を傾け一緒に通学した。西さんも小坂さんの変化を感じ取った。そんな中生徒から「うちらどうせアホやし」という言葉を聞いた小坂さんは、学びに対しての諦めをなんとかしたいと考え、鯖をクラスで缶詰にする実習授業が思い浮かんだ。文化祭でも列を作る食品工業科の伝統で、生徒たちが唯一誇りを持てる瞬間だった。校誌で地元の人と網を引く実習授業の写真を見つけた小坂さんは、地域で実習させてほしいと会議で提案したが、生徒を連れ出すと問題を起こすという声があがった。