独眼竜と呼ばれた伊達政宗は1567年に米沢城主・伊達輝宗の嫡男として生まれた。18歳で家督を相続。23歳で奥羽66郡のほぼ半分を制圧した。当時、豊臣秀吉は大名の私闘を禁じる総務事令を発していて、これを無視した政宗に激怒し、上洛を命じたが、政宗はとりあわなかった。1590年に秀吉が20万の大軍を率いて小田原城の北条氏を攻め込むと、白装束姿で秀吉に謁見し謝罪した。その後、徳川家康に接近し、長女・吾郎八姫と家康の六男・松平忠輝を婚約させた。慶長出羽合戦では家康率いる東軍の勝利に貢献し、62万石の領地を手に入れた。居城を仙台に移動し、仙台藩初代藩主となった。政宗は文化人でもあり、漢詩や和歌、能、太鼓に造形が深く、とりわけ書に優れていた。千利休、小堀遠州、古田織部たちと交流していた。政宗が情熱を傾けたのが食で毎朝厠にこもり一日の献立を考えたという。三代将軍・徳川家光を招いたさいには政宗自身が献立を考え、自らの腕を振るったという。今回の依頼品は2通の書状。1通は政宗の嫡男・忠宗にあてたもの。
住所: 神奈川県小田原市