イクラはロシア語で魚卵を意味し、いつしか日本語としても定着した。また、北方で獲れるニシン、サケを目当てに日本人がロシアの海域を訪れ、漁業を通じた交流を持っていた。函館ハリストス正教会には日本初のロシア領事館があり、1884年、ロシア正教会の大聖堂の建造が都内で開始された。東京外国語学校ではロシア語の教育もスタート。加えて、明治天皇は年上のアレクサンドル2世を親友と日記で表現している。だが、1891年、訪日していたロシアの皇太子を滋賀県警の巡査がサーベルで斬りつけた。明治天皇は事件翌日には皇太子を見舞うべく京都へ向かい、帰国前にロシア軍艦で行われた会食に出席した。日本中からお見舞いの電報が皇太子のもとに届けられた。皇太子は日記に「善良な日本人に対して、少しも腹を立てていない」と記している。