尼子氏の居城だった月山富田城には兵を常駐させる曲輪が多く築かれていた。通常の山城であれば10前後だが、月山富田城には500近くあり、敵襲にも迅速に対応できたと考えられる。さらに本丸に向かうルートは1本しかない上、急斜面。番組で検証したところ、平地であれば4~5分の距離に30分を要した。毛利元就をして「力攻めなど無理である」と言わしめた城だった。また、尼子経久は出雲大社の造営事業にも携わっていた。そんな尼子氏は7か国を治めていた大内義隆と相まみえることとなった。領主は大内方に寝返り、月山富田城は敵軍によって包囲された。だが、2ヶ月経っても落城せず、大内方から裏切りが続出。大内軍は敗走し、尼子氏は中国地方の一大勢力となった。
住所: 島根県松江市西川津町1060
URL: http://www.shimane-u.ac.jp/
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