今年は終戦80年。旧日本海軍の戦艦大和が鹿児島県沖で沈没してから今年4月で80年になる。大和が建造された広島県呉市では、今月追悼式が行われた。戦艦大和は呉市の旧海軍工廠で建造された世界最大の戦艦だったが、太平洋戦争末期に特攻作戦で沈没し3332人の乗組員のうち3056人が亡くなった。今回取材したのは乗組員だった父を亡くした藤本黎時さん。広島市立大学の学長などを務め、これまで平和をテーマにした講演もしてこられた。父・弥作さんは18歳で志願して海軍の道へ。大和では爆撃を受けた時に船の傾きを直す任務についていた。家族思いだった弥作さん。長い航海で家に帰れないときは、息子の黎時さんに手紙を出した。士気を高めるニュースが流れ続ける一方で戦況は悪化。近所でも戦死者が増えていくと、父の様子に変化が現れる。生きているのが恥ずかしいと、人目につかぬよう日が暮れてから帰宅するようになった。そして昭和20年3月26日の夕方、自宅で食卓を囲んだときのこと、弥作さんはいきなり真面目な顔になって「そろそろ戦死してほしいと思っているんじゃないか」と問いかけたという。戦死が名誉と言われた当時、家族に生きてほしいという望みさえ素直に言うことはできなかった。親子の会話はそれが最後となった。1945年4月7日、戦艦大和は1億総特攻の先駆けとして出撃。アメリカ軍の攻撃を受け鹿児島沖で沈没。藤本さんは、戦艦が沈んだというニュースをラジオで聞いたという。終戦後、父の戦死の知らせが届いた。藤本さんは、名誉の戦死というのは受け止めがたいと思っていたという。追悼式の前日、船上での父を知る手がかりを持つ人と初めて会った。同じく乗組員の父を持つ岸本さん。弥作さんの部下だった岸本輝夫さんは大和から生還。後に藤本さんと過ごした船での日常などを手記に綴っていた。沈没直前の大和の様子も記してあり、藤本さんは父の最後の瞬間を初めて確認することができた。藤本さんが次の世代に伝えたいメッセージは「平和というもは最も単純な最も簡単なこと。皆さんに平和の意味を考えてほしい」などと語った。
住所: 広島県広島市安佐南区大塚東3-4-1
URL: http://www.hiroshima-cu.ac.jp/
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