広島に原爆が投下されてから明日で78年。原爆の悲惨さを伝えようと中沢啓治が描いた漫画「はだしのゲン」は今年連載開始から50年を迎え改めて注目されている。作品の中で印象的なのは主人公ゲンの人間愛。現地では5月のG7サミットで実際に使われた円卓などが公開されている。サミットではG7首脳の他、ゼレンスキー大統領も資料館を訪問し、「現代の世界に核による脅しの居場所はない」とのメッセージも展示されている。週刊少年ジャンプで1973年に連載が始まった「はだしのゲン」は、主人公の家族が原爆で家族を失いながらも残った母や仲間たちと生き抜く物語で単行本は600万部を超える。2019年に亡くなった作者の中沢啓治は小学1年生の時に爆心地から1.3キロの小学校の校門近くで被爆した。ゲンのモデルは自分自身で自らの被爆体験をもとに描いた。8月6日の朝に投下された一発の原爆で変わり果てた広島の町をゲンは目の当たりにする。
中沢啓治の妻のミサヨさんによると原爆ドーム周辺は夫婦の散歩道だったという。原爆をテーマにした漫画を描くようになったきっかけは中沢啓治が母の死後に火葬場で感じた怒りだった。こうして幾つかの原爆漫画を描いた後に生まれたのがはだしのゲンだった。アシスタントを勤めていたミサヨさんも夫の葛藤を感じ取っていた。原爆が投下された日にゲンが自宅に駆けつけると父・姉・弟が建物の下敷きになり助けることが出来ず、ここで母とゲンは家族との別れを経験した。実際に中沢啓治は自宅には辿り着けず、一部始終を目の当たりにした母の話をもとに書き上げた。作品の中で印象的に描かれているのは人間愛。家族が食べていくために仕事を探すなど、家族思いのゲン。さらに死んだ弟によく似た隆太など新たな仲間たちを絆を深め、死や別れに直面しながらも逞しく成長していく。
広島市立本川小学校は爆心地から最も近い学校で中沢啓治の母校でもある。学校では独自の平和教育を行っており、昨日は児童たちが被爆体験者の証言を聞いた。今年、広島の平和教育を巡り動きがあった。市の平和教材に載っていた「はだしのゲン」は現場の教員から時代背景などを説明することが必要となり、限られた時間内で教えることが難しいなどの意見が上がり、教材から削除された。今年度からの新たな教材では別の被爆者の体験に変更されている。一方広島市の書店では問い合わせが急増し全巻のまとめ買いが30件以上。文庫版の出版社によると今年上半期の売り上げは去年の15倍だという。「はだしのゲン」は世界にも広まっており、今では24の言語に翻訳されロシア語などでも読むことが出来る。西多喜代子さんらは原爆投下国のアメリカで英語版を出版。すると現地から手紙が届くようになった。
モンゴルでは今医学部に通う大学生が翻訳に取り組んでいる。広島に住んでいた小学生の頃、図書室で「はだしのゲン」を何度も読み、両親にも読んでほしいと思い翻訳を始めたのがきっかけ。広島の平和記念資料館には未公開となっている「はだしのゲン」第2部の原稿が所蔵されている。そこで描かれているのはゲンが広島から上京したばかり頃の出来事。東京に到着したゲンはカバンを盗まれるが犯人は空襲で家族を失っておりその戦争体験にゲンが耳を傾けるストーリー。中沢啓治はこの後フランス編を描く構想まで持っていた。
中沢啓治の妻のミサヨさんによると原爆ドーム周辺は夫婦の散歩道だったという。原爆をテーマにした漫画を描くようになったきっかけは中沢啓治が母の死後に火葬場で感じた怒りだった。こうして幾つかの原爆漫画を描いた後に生まれたのがはだしのゲンだった。アシスタントを勤めていたミサヨさんも夫の葛藤を感じ取っていた。原爆が投下された日にゲンが自宅に駆けつけると父・姉・弟が建物の下敷きになり助けることが出来ず、ここで母とゲンは家族との別れを経験した。実際に中沢啓治は自宅には辿り着けず、一部始終を目の当たりにした母の話をもとに書き上げた。作品の中で印象的に描かれているのは人間愛。家族が食べていくために仕事を探すなど、家族思いのゲン。さらに死んだ弟によく似た隆太など新たな仲間たちを絆を深め、死や別れに直面しながらも逞しく成長していく。
広島市立本川小学校は爆心地から最も近い学校で中沢啓治の母校でもある。学校では独自の平和教育を行っており、昨日は児童たちが被爆体験者の証言を聞いた。今年、広島の平和教育を巡り動きがあった。市の平和教材に載っていた「はだしのゲン」は現場の教員から時代背景などを説明することが必要となり、限られた時間内で教えることが難しいなどの意見が上がり、教材から削除された。今年度からの新たな教材では別の被爆者の体験に変更されている。一方広島市の書店では問い合わせが急増し全巻のまとめ買いが30件以上。文庫版の出版社によると今年上半期の売り上げは去年の15倍だという。「はだしのゲン」は世界にも広まっており、今では24の言語に翻訳されロシア語などでも読むことが出来る。西多喜代子さんらは原爆投下国のアメリカで英語版を出版。すると現地から手紙が届くようになった。
モンゴルでは今医学部に通う大学生が翻訳に取り組んでいる。広島に住んでいた小学生の頃、図書室で「はだしのゲン」を何度も読み、両親にも読んでほしいと思い翻訳を始めたのがきっかけ。広島の平和記念資料館には未公開となっている「はだしのゲン」第2部の原稿が所蔵されている。そこで描かれているのはゲンが広島から上京したばかり頃の出来事。東京に到着したゲンはカバンを盗まれるが犯人は空襲で家族を失っておりその戦争体験にゲンが耳を傾けるストーリー。中沢啓治はこの後フランス編を描く構想まで持っていた。
住所: 広島県広島市中区大手町1-10