1910年代の東京・丸の内付近では当時は30mほどであり、百尺規制という高さ制限があったからだという。床面積を増やすため天井の低いビルを建設するが、結果として建て替え時期を早めてしまった。また1923年に起きた関東大震災のあとビルの構造に関する研究が盛んに行われ、1962年には日本の高層ビルには“柔構造”という揺らすことで力を逃がす構造が適しているという結論が出た。1963年には建築基準法が改正され、その結果最初の高層ビルで柔構造として霞が関ビルディングが100mの壁を超えてできたという。
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