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「御巣鷹山」 のテレビ露出情報

7月、羽田東京国際空港。夏休みに入り空港が一層賑わう。JALはこの夏予約が順調、インバウンド需要の高まりもあり昨年度の純利益は1000億円の大台に乗った。先々の需要を見据え、最新鋭機を90機近く導入し、現在運行する230機を順次入れ替えていく。さらなる成長を目指す中、安全対策の徹底が一層求められている。
羽田にあるJALの整備士たちのラインセンター、当日の離発着便を担当する100人ほどが常に働いている。そこに、一等航空整備士の資格を持つ林麻未さんの姿もあった。オフィスの壁に書かれているのが、御巣鷹山の事故から17年後2002年に出来た安全憲章。中でも、林さんが1番大事にしているのが”安全に懸念を感じた時は迷わず立ち止まります”。その後、林さんが向かったのは整備士の担当を割り振ったスケジュール表、整備士は機種ごとに国家資格が必要で、林さんはA350やB787などを担当している。福岡から9時5分に到着するA350を待つ林さん、しかし機体がやって来たのは9時16分、既に11分の遅れ。その時、機長から突発的なトラブルの報告があった。気になる情報が入ったものの、まずはルーティーンのチェックや指示を済ませていく。燃料を補充するにも時間がかかる。機内のチェック後、向かったのはコックピット。不具合が出ていたのは、GPS信号や気象条件から最適な経路を計算してくれるRNPというシステムで、飛行機が着陸する際にパイロットの判断を補助してくれるもの。その解析精度が一部低下しているというメッセージが出たという。林さんは、システムを一部再起動してみるが改善されず、もし解決しなければ出発をさらに遅らせるか他の機体への変更も想定しなければならない。情報共有していたセンターのスタッフとチームで対応策を考える、当初GPSに関連した不具合だと見ていたが、気象データを解析するシステムに問題があるのではないかと別の対処を始める。出発予定時刻まで後25分、応援の整備士も駆けつけた。再び再起動が完了したところで、表示が変わり何とか無事に問題が解決した。パイロットに詳しい原因と結果を報告し、安全の共有をする。そして、整備士たちの仕事を知る由もなく乗客が乗り込んでいき、当初の予定通り出発。林さんの次の担当は、90分後。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月8日放送 22:00 - 22:54 テレビ東京
ガイアの夜明け”空の安全”40年目の誓い
アメリカ・サンフランシスコのジェイソン・マイヤーズさん、彼は40年前日本で心に深い傷を負った。1985年8月12日、日本の航空史上最悪の事故「日航123便 墜落事故」が起きた。乗客乗員524人を乗せた123便は、伊丹に向け羽田を離陸。その12分後、爆発音と共に垂直尾翼の大半を失い機体は操縦不能になった。生存者はわずか4人、520人もの尊い命が失われた。その中[…続きを読む]

2025年3月24日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
クローズアップ現代放送100年 テレビが伝えた“あの日”と未来
1980年代に入ると各放送局はニュースや大型報道番組を続々とスタートさせる。前例のない誘拐事件や史上最悪とされた詐欺事件など大きな事件事故が相次いだ1980年代。グリコ森永事件(1984年)、豊田商事事件(1985年)、長野県で山津波(1985年)。衝撃的な出来事が映像で伝わることで人々のニュースへの関心は高まっていった。日航ジャンボ機墜落事故(1985年)[…続きを読む]

2024年10月25日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
39年前に起きた日航ジャンボ機の墜落事故の悲惨さや当時の警察の活動を学ぼうと群馬県警に新たに採用された警察官など27人が上野村の御巣鷹山で慰霊登山をした。参加者はおよそ1時間かけて尾根にある慰霊碑の昇魂之碑に到着すると碑を丁寧に布で拭いて周辺を清掃した。そして代表が慰霊碑に花を手向けたあと全員で黙とうをささげ犠牲者を悼んだ。

2024年10月25日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
39年前に起きた日航ジャンボ機の墜落事故の悲惨さや当時の警察の活動を学ぼうと群馬県警に新たに採用された警察官など27人が上野村の御巣鷹山で慰霊登山をした。参加者はおよそ1時間かけて尾根にある慰霊碑の昇魂之碑に到着すると碑を丁寧に布で拭いて周辺を清掃した。そして代表が慰霊碑に花を手向けたあと全員で黙とうをささげ犠牲者を悼んだ。

2024年10月1日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ
ザ!世界仰天ニュース羽田発JAL123便墜落事故…操縦不能の真実とは
ダッチロールの横揺れとフゴイドの上昇降下で123便は不安定な動きを繰り返していた。コックピットではコントロールできていないことはわかっているが操縦桿を握るしか術がない。客席では揺れの中で家族宛にメッセージを残す乗客もいた。衝撃音から7分の午後6時31分、機体は駿河湾を越えたところから旋回して北へ向かっていたが、おそらくパイロットがコントロールしたわけではない[…続きを読む]

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