- 出演者
- 長谷川博己
オープニング映像。
アメリカ・サンフランシスコのジェイソン・マイヤーズさん、彼は40年前日本で心に深い傷を負った。1985年8月12日、日本の航空史上最悪の事故「日航123便 墜落事故」が起きた。乗客乗員524人を乗せた123便は、伊丹に向け羽田を離陸。その12分後、爆発音と共に垂直尾翼の大半を失い機体は操縦不能になった。生存者はわずか4人、520人もの尊い命が失われた。その中に22人の外国人が含まれていた。アメリカ人のワード・ワーリックさんもその1人、当時26歳だった。JALで英会話講師をしていたワードさんは、大阪出張のため123便に搭乗した。事故の3年前、ジェイソンさんはワードさんと共にカルフォルニア州立大学の交換留学生として来日し、早稲田大学で日本語を学んだ。墜落事故が起きた時、ジェイソンさんは京都の高校で英語教師をしていた。ワードさんが大阪に来ると聞き、久しぶりに酒を飲み交わす約束をしていた。事故の数日後、ジェイソンさんはワードさんの遺体を確認するため群馬県藤岡市の体育館に向かった。実は、日航機墜落事故について、ジェイソンさんがカメラの前で語るのは初めてだった。事故を起こした機体は、その7年前滑走路に接触する「しりもち事故」で後部圧力隔壁を損傷していた。ボーイングのエンジニアによる不適切な修理が事故原因と推定されているが、修理ミスに気が付かなかったJALも批判された。
7月12日成田空港、ジェイソンさんがサンフランシスコからやってきた。翌日、群馬県上野村にやってきたジェイソンさん。人里離れた山奥に123便が墜落した御巣鷹の尾根がある。登山道の入口には多くの杖があり、高齢となった遺族のために寄付されたものだという。ジェイソンさんは40年前、遺体確認のため群馬には来たが御巣鷹山を訪れるのは今回が初めて。杖を頼りに山道を登っていく、当時ヤブに覆われていた道なき道は慰霊に訪れる遺族のために上野村とJALが登山道として整備してきた。しばらく登ると無数の風車が並び、そこには墓標があちこちにたてられていた。愛する肉親の遺体が見つかった場所に、遺族がたてているという。あの事故から40年、御巣鷹の尾根の墜落現場は深い緑に覆われている。1時間以上かけてようやく到着し、ジェイソンさんはさらに上を目指す。ワードさんの座席は10H、前の方だった。遺体の見つかった辺りに写真を置き、それを墓標代わりにするジェイソンさん。今ここは、愛する人の魂と再会する山、そして航空業界の関係者が安全を誓う場所になっている。
東京・下北沢、ジェイソンさんは東京で訪ねたい場所があった。ワードさんとよく飲みに来ていたロックバー。この日、店で会う約束をしている人たちがいた。風岡さんは、当時交換留学生の世話係だった。昌道さんと美穂さんは、ワードさんのホームステイ先の子どもたちで兄のように慕っていた。ワードさんは、あの事故の前日に風岡さんに電話をしていたという。ジェイソンさんにとっては初めて聞く話だった。去年12月JALのパイロットが乗務する前日に過度な飲酒をした問題、事態を重く見た国土交通省はJALに業務改善勧告を出した。
1日500便もの航空機が行き交う羽田空港、到着便を待ち受ける1人の女性・JAL整備部門の林麻未さん。一等航空整備士という国家資格を持っている。4000人の整備士の中でその資格を持つ女性は70人。林さんの仕事は、到着した機体を次の出発までに点検・整備することで、大抵1時間ほどしかない。全ての安全を林さんが確認して初めてその航空機を飛ばすことが出来る。林さんのチェックは機内にも及ぶ、時間が掛かりそうだと判断すると無線で応援を呼びチームで対応する。作業の完了と機体の安全を最終的に林さんが確認、全ての責任を負ってサインする。これは、一等航空整備士にしかできない。1時間後、無事に離陸。しかし、作業が順調に進む時ばかりではない。時には、コックピットで想定外のトラブルが起きることも。
- キーワード
- 東京国際空港
ガイアの夜明けはTVerで配信。
- キーワード
- TVer
7月、羽田東京国際空港。夏休みに入り空港が一層賑わう。JALはこの夏予約が順調、インバウンド需要の高まりもあり昨年度の純利益は1000億円の大台に乗った。先々の需要を見据え、最新鋭機を90機近く導入し、現在運行する230機を順次入れ替えていく。さらなる成長を目指す中、安全対策の徹底が一層求められている。
羽田にあるJALの整備士たちのラインセンター、当日の離発着便を担当する100人ほどが常に働いている。そこに、一等航空整備士の資格を持つ林麻未さんの姿もあった。オフィスの壁に書かれているのが、御巣鷹山の事故から17年後2002年に出来た安全憲章。中でも、林さんが1番大事にしているのが”安全に懸念を感じた時は迷わず立ち止まります”。その後、林さんが向かったのは整備士の担当を割り振ったスケジュール表、整備士は機種ごとに国家資格が必要で、林さんはA350やB787などを担当している。福岡から9時5分に到着するA350を待つ林さん、しかし機体がやって来たのは9時16分、既に11分の遅れ。その時、機長から突発的なトラブルの報告があった。気になる情報が入ったものの、まずはルーティーンのチェックや指示を済ませていく。燃料を補充するにも時間がかかる。機内のチェック後、向かったのはコックピット。不具合が出ていたのは、GPS信号や気象条件から最適な経路を計算してくれるRNPというシステムで、飛行機が着陸する際にパイロットの判断を補助してくれるもの。その解析精度が一部低下しているというメッセージが出たという。林さんは、システムを一部再起動してみるが改善されず、もし解決しなければ出発をさらに遅らせるか他の機体への変更も想定しなければならない。情報共有していたセンターのスタッフとチームで対応策を考える、当初GPSに関連した不具合だと見ていたが、気象データを解析するシステムに問題があるのではないかと別の対処を始める。出発予定時刻まで後25分、応援の整備士も駆けつけた。再び再起動が完了したところで、表示が変わり何とか無事に問題が解決した。パイロットに詳しい原因と結果を報告し、安全の共有をする。そして、整備士たちの仕事を知る由もなく乗客が乗り込んでいき、当初の予定通り出発。林さんの次の担当は、90分後。
羽田空港には大掛かりな整備のための施設「格納庫」がある。足場に囲まれているボーイング787、重整備と呼ばれる定期点検が行われていた。エンジンや翼は勿論、客室のシートやトイレまであらゆる部分を徹底的に整備する。今回の作業は、6000回のフライト・または36カ月ごとに実施されるもの。他にも1カ月もの長期にわたるオーバーホールに近い整備もある。格納庫での整備を担当する山口直裕さん、入社21年整備グループの指導的な役割も果たすベテラン。一等航空整備士の資格を持つ山口さん、ヘルメットにはA350を始め5機種もの資格を有する証があり、JALでも数名しかいない精鋭。
フランス・トゥールーズ、ヨーロッパの航空産業の中心地。この街にあるのが、今やボーイングをしのぐ世界的な巨大航空機メーカー「エアバス」。そこに山口さんの姿が、JALが発注した最新鋭機に問題がないか、最終検査のために派遣された。A350-1000、JAL国際線の主力機。この検査、ベテランの山口さんでも初めて任された大役。400億円とも言われる機体の最終チェックは、なんと一発勝負。
7月8日、フランス・トゥールーズ。エアバスに発注していた最新鋭機を受け取るためにやって来た、JALの整備士・山口直裕さん。1機400億円とも言われるこの機体、一発勝負の最終チェックが始まる。気になる所は鏡とライトを使って、奥の奥まで覗き込み徹底的に調べ上げる。見つけたのは翼の繋ぎ目の部材、しっかり止められていなかった。引き渡しの日までに直してもらうように注文をつける、こうした細かなチェックを機体の隅から隅まで50カ所にわたって行っていく。続いては緊急事態を想定したエンジンのテスト、トラブルが起きた時それをカバーする安全装置がしっかり機能するのか、滅多にテスト出来ない貴重な機会。それから9日後、修正点も無事に改善されいよいよ最新鋭機を日本に持ち帰る日がやって来た。山口さんがJALを代表する形で機体整備の最終確認にサインした。初フライトでは離陸直後に、別れの挨拶として機体を左右に振るのが習わし。7月18日羽田上空、13時間の長旅を経て無事に到着した。この機体は、日本国内での最終整備を済ませアメリカ路線に投入された。無事に任務を終えた山口さん、いつも作業着のポケットに入れているものが「安全憲章」。その裏には、各自が安全に対する自分の考えを書き込む場所がある。日航123便墜落事故の後、日本の航空会社は商用航空機による死亡事故0を続けている。
慰霊登山を済ませたジェイソンさんがやって来たのは、世界遺産にも登録されている石庭で有名な京都・龍安寺。ワードさんのお墓があった。早稲田の留学生だった頃、みんなで龍安寺を訪れた。その時、ワードさんは「もし自分が死んだら、ここに埋葬してほしい」と話したという。訪れた人たちが書き残したノート、そこには思い思いの言葉が綴られていた。京都は夏の風物詩、祇園祭の真っ最中だった。日航123便墜落事故、空の安全を誓う40年目の夏。
エンディング映像。
「ワールドビジネスサテライト」の番組宣伝。観光地の「クマ対策」。
- キーワード
- クマ