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- 長谷川博己
オープニング映像。
街の総合病院、命の砦が窮地に立たされている。東京・世田谷区の至誠会第二病院。夜9時半、運び込まれた80代の男性は、熱が38℃以上あり動けない状態だった。応対したのは、この夜の救急外来を任された消化器内科の医師、呼吸器は専門外だが患者は肺炎の可能性があるという。そんな最中、近隣住民から頭痛を訴える患者の家族から電話があり診察を希望された。以前の救急外来は、内科医と外科医など3人の医師で対応していた。しかし、今は1人。80代の男性患者はその後、入院することになった。その内に、頭痛を訴えていた患者が到着した。しかし、医師の手が空かず廊下で待つことに。満足に患者を受け入れられない救急医療、そうなったのには理由があった。今年1月、東京女子医大の元理事長が背任容疑で逮捕された事件。岩本絹子元理事長は、1億円以上不正に支出し大学に損害を与えたとされている。至誠会第二病院は、東京女子医科大学の同窓会組織・至誠会が運営している。逮捕された元理事長は、至誠会のトップとして至誠会第二病院の経営の実権を握っていた。病院再生へ動き出した現場と経営陣、あるべき医療を取り戻そうとする挑戦を追った。
東京・世田谷の住宅地で100年近く続いてきた、至誠会第二病院。通ってくる地域住民の中には、3世代で通う家族も。しかし、逮捕された元理事長は実権を握っていた時代、徹底したコストカット経営に舵を切った。その影響で、人件費を抑え常勤医師は45人から27人へ。かつて多くの命を救ってきた集中治療室も、人員が足りず4年前に閉鎖し今は物置になっている。コストカット経営による医療サービスの低下は、悪循環を招いた。患者が減少し、病床稼働率は約30%に低下し赤字に転落した。一方で、病院経営のそもそもの難しさもある。今、全国の病院の7割近くが赤字。物価と人件費が高騰する中、診療報酬を国が定めていることが病院の経営難に拍車をかけている。
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至誠会第二病院、元理事長の逮捕を受けて病院の再生に向けた会議が開かれた。新理事長を筆頭に、経営サイドと現場サイドが意見を交わす。最大の問題は人材の確保だが、炙り出された問題点は人材と最新設備の不足、専門性の軽視、医局頼みの採用、経営の独断。人材については、人件費の総額が低く抑えられ欠員が出ても補充がままならない状況だった。設備投資の遅れも深刻で、30~40年前の機材を大事に使い続けている状況。専門性を軽視した象徴は、皮膚科と耳鼻科がなくなったこと。そして、偏った採用。かつては大学の医局頼みで医師の半数を占めていたという。全てに通じるのが経営手法の問題、事件の前は元理事長1人に権限が集中しガバナンスがきかなくなっていた。多くの総合病院には院長とは別に理事長がいるが、至誠会第二病院はそのバランスを失い近視眼的になっていたという。そして生まれ変わった経営体制、意思決定をかつてのように合議制に戻した。さらに、今では医師や看護師など現場の声を聞く場も定期的に設けている。
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病院再生への茨の道、人材確保と設備の充実が最優先の課題。改革の最初の成果は、新しく来た眼科医の蔵並藍さん。来て間もないのに欠かせない戦力になっている。朝通勤してきた蔵並先生、1歳半になる息子と一緒だった。3人家族で夫は別の大学病院に勤める内科医。多忙な上に時間が不規則で、子育てが夫婦の一大事になっている。病院内にある託児室は、元理事長の時代にコストカットで閉鎖したものの改革で真っ先に再開された。病院は今、託児室の運営を月200万円で外部に委託し、内部留保を使うなど大半を企業努力で賄っている。利用料は月2万円、薬剤師や技師、栄養士なども利用できる。特別とは言い難い取り組みだが、あるべき姿を取り戻す改革はこうして始まった。30年以上前の顕微鏡は、眼科に欠かせない医療機器で蔵並先生も使っている。それを今回、最新の顕微鏡に買い替えることになった。1500万円以上かかるが、理事会の承認が降りた。さらに最近約750万円で導入した、視野検査装置。検査時間が短くなり、患者の負担が軽くなった。結果はパソコンに自動転送され、過去の数値も示されるので回復や進行が一目瞭然、医師の手間も減った。医師も減り、患者も減ったかつての悪循環、その反省を踏まえ先行投資と割り切って合計2億円の投資を行った。しかし、蔵並先生の手元を見ると古めかしい紙のカルテが。時代遅れで二度手間で、設備投資はまだまだ十分とは言えない。
問題の1つだった専門性の軽視、改革の象徴がここ。整形外科の中にある、足に特化した外科センター。吉本憲生センター長は、くるぶしから下の病気やケガを専門にしている。その道のスーパードクターと呼ばれる専門医、評判は海外にまで。インドネシアからはるばるやってきた患者は、進行性扁平足に悩まされていた。かつての経営陣のもとでは吉本先生の待遇は恵まれているとは言えなかった、8年前九州からやってきたが当時の給与は他に務めた医院の半分程度だったという。吉本先生が持つ専門性の価値を認められていなかった。しかし、事件を機に経営陣が変わってからは、経営陣が自らの報酬をカットし医師たちのベースアップにあてた。貢献度に応じて給与などの待遇も改善した。インドネシアから来た女性の手術が始まる、吉本先生が手がける手術はかつて年間180件ほどだったが、現在は300件以上になった。患者や手術が増えたことで病院の収益も上がっている。手術は3時間ほどで終了、足の骨は綺麗なアーチ型になった。手がける症例が増えたことで、臨床研究も進むようになった。学会にも参加して最先端の治療法を探求している。全ては、患者のため。しかし、医師の数はまだ足りていない。病院全体で増えたのは4人、もっとも深刻なのが内科で少なくとも3人はすぐに補充が必要な厳しい状況が続いている。
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対照的な事実もあり、部屋にひしめく看護師たちは皆二十歳前後。まだまだこれからの人材だが、窮地に立つ病院には大きな救い。彼女たちにはある共通点があった。病院の隣にある看護学校、彼女たちはその卒業生たち。全国的な看護師不足の中、至誠会第二病院は採用に困らないという。人材確保は病院経営の鍵、医師の採用に関してはかつて痛い目にあっている。産婦人科は大学の医局出身者に頼りすぎた結果、医師不足で1年間クローズした。その後、再開したものの手がける出産は激減し、全盛期の10分の1以下の月に3件ほどになっている。そこに現れた救世主、産婦人科医の福田奈尾子さん。目を見張る経歴の持ち主で、東京大学大学院 医学系研究科の出身。3年間の専門研修プログラムを経て、救急科専門医の資格に合格。その上、集中治療科専門医の資格も取得した。病院からすれば垂涎の人材。彼女がここに来たのは、医師の公募。医局に偏りすぎたかつての採用を改め、広く門戸を解放した。福田先生は偶然、病院の近くに住んでいたためそれが縁だったという。元理事長の時代には50%程だった医局の出身者が、今では25%にまで減っている。
5月中旬、福田先生のもとにタンザニア出身の夫婦がやって来た。夫のフレディさんと妊娠9か月目のルルさん。ルルさんの不安げな様子にはわけがあった。フレディさんは日本に来て10年以上、こちらで仕事にも就き日本語もできる。しかし妻のルルさんは来日2年目、スワヒリ語と英語しか話せなせず、今回が初産で不安だらけ。すると診察で、福田先生は流暢な英会話で応対、ルルさんの表情が一気に緩んだ。さらに先生が用意したのは、イラスト付きの英会話カード。英語が話せないスタッフのために手作りしたという。英語の他に、ネパール語やベトナム語もあり、国際化に対応しようというアイデアだった。患者本位の医療へ、新たに経営陣に承認された試みも。ほとんど使われていなかった病室を有効利用、妊婦と夫が一緒に過ごせる部屋に模様替えする。年代物のソファーセットは今風のダイニングテーブルにするつもりで、妊婦が快適に過ごせる部屋を目指す。
6月、ルルさんの出産予定日が近づく中1つ大きな気がかりがあった。体調の不調を訴えるルルさん、診察すると初産の女性には大きすぎる胎児で母体の負担が心配だという。福田先生はあえて、夫のフレディさんに日本語で状況を伝え、それをフレディさんが訳してルルさんに伝える。フレディさんの言葉の方が優しく伝わり、余計な不安を掻き立てないと判断した。福田先生は一言だけルルさんに「心配しなくて大丈夫」と声をかけた。この日から、ルルさんは入院。模様替えをした部屋は1泊2万7500円、夫のフレディさんも一緒に泊まる。夫と一緒にいられるだけでも、ルルさんの安心度合いは計り知れない。
出産予定日から1週間後、福田先生は決断を下す。自然分娩から帝王切開に切り替えることにした。救急専門医でも集中治療医でもある福田先生、これ以上長引かせるとリスクが増すという判断だった。自らメスを握り15分後、元気な男の子が誕生した。母子共に健康、家族の喜びは医師の喜び、そして病院の喜び。病院再生への歩みの中で、無事に生まれた新たな命。医療は誰のためにあるのか、病院再生はまだまだ始まったばかり。
地域の医療を守れるか。新理事長は、やっとスタートラインに立てた気がする。地域密着型で、皆さんが来やすい病院、働いている人が働きやすい病院を目指していると話した。
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エンディング映像。
「ワールドビジネスサテライト」の番組宣伝。「日本産牛肉 中国に輸出再開へ」。