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「徳川家光」 のテレビ露出情報

きょうのテーマは「政宗や利休も愛した静嘉堂所蔵の茶道具」。現在、東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館で開催されている特別展「眼福大名家旧蔵、静嘉堂茶道具の粋」。学芸員・長谷川祥子さんが案内。茶の湯の開祖・千利休の愛用品「竹茶杓銘両樋」「青磁鯱耳花入」を紹介。「青磁鯱耳花入」は、千利休が持っていた時に花入に割れが生じてしまって繕われている。鯱をかたどった耳、胴の部分の左右に広がったヒビを鎹で接いだこの花入を利休はかえって響きがあると好み、「砧花入」と名付けた。花入の「ヒビ」と衣の手入れに使う砧を打つ「響き」にかけた。利休から将軍・戦国大名へと受け継がれていった大名物の茶入「唐物茄子茶入利休物相」を紹介。物相とはご飯の形を抜く木型と器のこと。この型に見立て「利休物相」の名がついた。猿がうずくまっているように見えることから「木葉猿茄子」とも呼ばれる。「利休物相」は千利休から徳川三代将軍・家光、伊達政宗へと受け継がれた。その際、引き継ぎのやり直しという異例の事態が起きた。茶入を徳川家光の使いで佐久間将監真勝という人物が伊達政宗にと台盤所で渡すところだったが、伊達政宗は作品に失礼ではないかと思ったのか、伊達政宗は茶入を徳川家光の手から渡されたいと願い出た。茶入を受け継いだ伊達政宗は「木葉猿茄子」という名に合わせ、千疋猿文様の蒔絵箱を用意。徳川家光の政宗に対するもてなしが手厚かったとされ、将軍家に招いて茶を楽しむことも多かったと言われている。仙台藩主伊達家も徳川将軍を江戸の藩邸でもてなすため数々の名品を集めた。「虚堂智愚 墨跡 景酉至節偈」を紹介。虚堂智愚は南宋時代に有名だった中国の高僧。日本の留学僧たちが彼に憧れて何人もが参禅したと伝えられている。「墨跡景酉至節偈」は虚堂智愚が77歳の時に書を求めた人の母親の冥福を祈るため特別に書いたもの。虚堂智愚は一休さんの愛称でおなじみ一休宗純が自分のことを「虚堂7世の孫」というほど憧れた。虚堂智愚の墨跡は虚堂智愚が教えた禅と茶の湯の世界に深い関わりがあるとし、茶席の掛け軸として重宝された。掛け物は床の間に飾った軸が茶席の格を決めるともいわれる。特別展は11月4日まで開催。詳細は公式HPを確認。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月20日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!南野陽子&水野真紀おいしい旅
今週18日、都心では最高気温37℃を記録。穴場避暑地となっているのが麻布市にある深大寺。733年建立の浅草寺に次いで東京で2番目の古い寺。暑くても観光客が来る秘密を調査した。深大寺までは京王線で新宿駅から調布駅まで特急で約20分、そこから路線バスで約10分で到着。休日は約15分間隔で運行している。シェアサイクルは30分160円から借りられ、調布駅から深大寺ま[…続きを読む]

2025年8月17日放送 23:35 - 0:05 NHK総合
名将たちの勝負メシ(徳川吉宗)
22歳で徳川御三家の紀州藩主となった吉宗は、財政難を解決し、33歳で将軍に就任した。徳川家は6代家宣が病死し、継いだ7代家継も8歳で亡くなったため本家が断絶した。そこで徳川御三家の中から吉宗が選ばれた。宝永大噴火や財政難により、幕府は政治改革を迫られていた。吉宗は辞退を申し出たが、家宣の正室・天英院に「家宣の遺命である」と怒鳴られて仕方なく引き受けたという。[…続きを読む]

2025年7月20日放送 16:00 - 17:25 フジテレビ
今夜はナゾトレ国宝学べるSP22日(火)よる7時★くりぃむしちゅー柳原タカトシ今が絶景!世界遺産 日光東照宮学べるSP
栃木県の日光から「石鳥居に隠された地震対策は?」と問題が出題された。正解は「木が埋め込まれている」。正解したので柳原ペアは100ポイントを得た。
栃木県の日光から「五重塔の地震対策は?」と問題が出題された。正解は「各階層を固定しない」。正解したのでタカペアは100ポイントを得た。
栃木県の日光から「この建物で飼育された動物は?」と問題が出題された。正解は[…続きを読む]

2025年7月11日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
「上野東照宮」を紹介。東照宮とは徳川家康を祀る神社のことで、全国に50社以上ある。上野東照宮は家康以外に徳川吉宗と徳川慶喜も祀っている。上野東照宮は家康の「三人一処に魂鎮まるところを造って欲しい」という遺言をきっかけに1627年に創建。1651年には徳川家光が建て替え、当時造られた建築物が数多く現存している。そのうちの1つである「唐門」は本物の金箔を使用して[…続きを読む]

2025年7月6日放送 12:54 - 15:05 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団気になる依頼人 あの人は今!
戦国の風雲児独眼竜伊達政宗は1567年に米沢城主伊達輝宗の嫡男として生まれ、5歳の時天然痘に罹り右目を失明、眼球も大きく腫れ上がったため人目を避けるように内気な性格になった。9歳の時守役だった片倉景綱に命じ刀で右目をくり抜かせると快活になり文武両道に精進するようになったという逸話が残されている。15歳で初陣を飾ると豪胆ぶりが評価され18歳で家督を譲り受け、周[…続きを読む]

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