ベトナムのダナンへはベトナム航空が毎日運行している。そこから車で1時間の街に家康ゆかりの町がある。それがホイアン。ホイアンはベトナムを代表する古都で、旧市街は世界遺産にも登録されている。さらに、400年前に中国から伝わったランタンが、今では街の風物詩となっている。家康と繋がる場所が街の中心部に残されている。400年前に作られたとされる来遠橋は現在は修復中だが、本来ホイアンを代表する観光スポット。この橋の修復にJICAとともに携わっているのが東洋大学の篠崎正彦教授は、日本橋と言われている橋だといい、江戸時代の始め朱印船貿易で来た日本人たちがこの町に住んでいて、皮を渡るのが大変なので作られた橋だと言われていると説明した。この日本橋はベトナムの2万ドン紙幣にも描かれている。慶長5年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、朱印状を与え、アジアの国々を相手に朱印船貿易をはじめた。当時広南は最大の貿易相手で、玄関口だったホイアンには多くの日本人が暮らす日本人町が存在した。当時日本から輸出していたのが銅。現在のベトナム通貨の単位のドンは日本語の銅が由来だという。
現在のホイアンは約200年前に建物の多くが作り直され、かつての痕跡はほとんど残されていない。だが当時の様子を物語る貴重な資料が、名古屋市東区の情妙寺に残されているという。住職の林教一サンが持ってきた茶屋新六交趾渡航図巻には御朱印船が描かれていて、広南にたどり着くまでの様子が詳細に記されている。絵巻から日本人町は二階建ての家屋が300メートルに渡って続いていたことがわかる。さらに、ちょんまげをした日本人が描かれていた。クアン・カオラウ・バーレーには、カオラウという名物料理がある。カオラウは米粉の麺に醤油ベースのタレを合わせて食べる。これは伊勢の商人が持ち込んだ伊勢うどんがルーツと言われている。
現在のホイアンは約200年前に建物の多くが作り直され、かつての痕跡はほとんど残されていない。だが当時の様子を物語る貴重な資料が、名古屋市東区の情妙寺に残されているという。住職の林教一サンが持ってきた茶屋新六交趾渡航図巻には御朱印船が描かれていて、広南にたどり着くまでの様子が詳細に記されている。絵巻から日本人町は二階建ての家屋が300メートルに渡って続いていたことがわかる。さらに、ちょんまげをした日本人が描かれていた。クアン・カオラウ・バーレーには、カオラウという名物料理がある。カオラウは米粉の麺に醤油ベースのタレを合わせて食べる。これは伊勢の商人が持ち込んだ伊勢うどんがルーツと言われている。