TVでた蔵トップ>> キーワード

「徳川家康」 のテレビ露出情報

エミー賞18冠に輝いたドラマ「SHOGUN 将軍」。番組は作品に関わった関係者を独自取材。国際日本文化研究センター副所長・フレデリッククレインス氏は35年前に来日し、徳川家康、細川ガラシャ、三浦按針などの研究を続けてきた戦国時代研究の第一人者。3年前にクレインス氏の元に初めて脚本が送られてきたが「(米国人スタッフは)戦国時代を分かっていない。筋書きは素晴らしいが戦国時代の精神が入っていない」と指摘。クレインス氏が作成したのは、900ページのマニュアルを元となった2179ページに及ぶ戦国時代の指南書。各分野に付き数十ページの資料を書き上げた。影響はプロダクションデザイナーのヘレン・ジャービス氏にも及んでいた。「(城のデザインを)時に細部を全て変更する事さえあった」と話す。切腹のシーンについてクレインス氏は「米国人に取っては一つの罰、非人道的、非道徳的な罰と考えているが、戦国時代では決してそうではない。むしろ武士が自ら申し出るのが多い」と話す。見かけだけでなく、武士の心も“本物”にこだわったという。
国際日本文化研究センター副所長・フレデリッククレインス氏の指摘を受け、製作総指揮・脚本・ジャスティンマークス氏が気づいたのは、「切腹は死の表現では無く生きる為の表現」と話す。一方、もう一人の主人公・細川ガラシャをモデルとした戸田鞠子が、強大な権力に1人で立ち向かうシーンについて、クレインス氏は「鞠子だけが戦って(侍女の)勢津は戦ってない。勢津は後ろにいる」と話す。更に徹底ぶりは女性達の髪型や衣装、劇中の書などの小物に及んだ。セリフについては「時代劇が現代日本語で話されると雰囲気が出ない。中世の日本語、慶長期の日本語が必要だとかなり推した」。脚本家・森脇京子氏は印象に残ったことについて「英国から流れ着いた三浦按針(航海士)が処刑場に連れて行かれるとき(樫木)藪重が助けることになるが、藪重には二心があり、虎永にウソを吐いて(敵方に)取り入ろうとしているが、それを虎永はどう受け取っているのか時代劇的にキチンと見せたい」と話す。
セットから衣装や所作、武士の心までこだわり抜き完成したドラマ「SHOGUN 将軍」。ニューヨーク・タイムズからその成功の秘訣を記事にしてほしいと依頼されたライター・翻訳家のマット・アルト氏は米国で大ヒットした理由について「今までハリウッドで作られた日本を舞台に設定されている作品はインチキモノが多い。でも今の若者にとって全くNG。今の米国人の若者の殆どは日本製のアニメ・漫画育ち。日本という国は遠い存在ではなくとても近い。リアリティーとかを敏感に異文化を取り上げることを求めている」と話す。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月23日放送 11:55 - 13:30 日本テレビ
兼近&真之介のメシドラ(兼近&真之介のメシドラ)
川口市をグルメ旅。ゲストの2人は23年の付き合いだという。まずはどこに行くか決める。グループLINEのメンバーだという加藤和樹さんに電話でラーメン屋のおすすめを聞いたが「ちょっとわかんない」とのことでまずはカフェに行くことに。創業38年目の「コーヒーショップシモン」を訪れた。尾上さんはスニーカー専用の部屋を借りてしまうほどのスニーカー好きだという。神楽坂の老[…続きを読む]

2024年11月23日放送 10:25 - 11:00 フジテレビ
最強LINEグループ旅(最強LINEグループ旅)
2人は日光東照宮を訪れた。奥宮には家康公の宝塔と神秘的な叶杉があり、奥宮でしか売っていない眠り猫のお守りがある。叶杉は樹齢600年で家康公の墓所になる前からある。杉の祠に向かって願い事をすると叶うと言われている。

2024年11月22日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDays今も街に息づく!驚きの江戸遺産ツアー
日比谷はそこかしこに江戸の名残が残り江戸の始まりの地といっても過言ではない場所。日比谷公園内には江戸城にあった石垣が残っている。日比谷御門は江戸城の外側に造られた警備のための城門。伊達政宗は徳川家康の命で江戸城の石垣造りを担当し日比谷御門も手がけた。江戸遺産クイズ「かつて日比谷は?だった」と出題。

2024年11月17日放送 14:20 - 14:48 NHK総合
ひむバス!(オープニング)
岐阜県の関ケ原町に行く。最初の乗客は佐吉さん親子。

2024年11月16日放送 10:05 - 10:40 NHK総合
有吉のお金発見 突撃!カネオくん(有吉のお金発見 突撃!カネオくん)
一橋大学講師の高柳さんが熱海の歴史について紹介。熱海が温泉地として名を広めたきっかけは徳川家康。熱海温泉の湯を気に入り、京都・伏見まで温泉を運ばせた。これをきっかけに全国の大名が参勤交代のときなどに熱海を訪れ、その名が全国に広まったとされている。熱海が庶民にとってお馴染みの行楽地になっていったのは昭和に入ってから。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.