東京の都心から離れた動物園、井の頭自然文化園。ここに今は空っぽのゾウ舎がある。かつての主は”はな子”。戦後70年近く生きてきたゾウ・はな子の波乱の一生の物語。敗戦から4年後の昭和24年、東京・上野動物園に2頭の雌のゾウがやってくる。その1頭がはな子、タイから贈られた2歳半の子どもだった。そしてもう1頭は、インドの首相からの贈り物・インディラ。歓迎式では当時の首相・吉田茂が直々にバナナをあげ歓待した。2頭のゾウに日本中が夢中になったのには理由があった。太平洋戦争の最中、動物園から逃げ出すおそれがあるとして動物たちが殺処分された。上野動物園で花子の愛称で親しまれていたワンリーも、他の2頭と共に犠牲になった。戦後やってきた”はな子”の名前は、戦争の犠牲になったゾウの名前を受け継いだもの。2頭のゾウは日本に平和が訪れたことの象徴でもあった。より多くの子どもたちに元気なゾウを見てもらおうと、はな子は東京の街をめぐった。船に乗って伊豆大島まで遠征したこともあった。インディラはさらに遠く、札幌を含めた日本各地17の都市をめぐった。日本に来てから5年後、はな子に転機が訪れる。この頃、上野動物園のゾウは3頭になっていた。かねてより井の頭自然文化園に来てほしいと熱望する声に答え、はな子は引っ越しすることになった。仲良しのお姉さんゾウ・インディラとはお別れ。雌のゾウは本来群れで生活するため、1頭だけだとストレスになると現在では考えられている。突然始まったひとりぼっちの暮らし、それはその後のはな子に暗い影を落とすことになる。はな子はイライラすることが多くなった、ゾウ舎の壁を蹴飛ばし大きな穴を開けたこともあった。そして事件が起きる、酔っ払った男性が夜ゾウ舎に侵入、はな子がふみ殺してしまった。さらに4年後、はな子は餌やりをしていた飼育係の男性を踏みつけ、またも死亡事故を起こしてしまった。はな子は危険な殺人ゾウだと鎖に繋がれ、閉じ込められることになった。動けるのは1mほどのみ、ストレスからはな子は餌を食べなくなりやせ細ってしまった。そこへ、新たな飼育係が赴任する。上野動物園ではな子を見送った、山川清蔵さんだった。山川さんは鎖を外すことを決断、しかしはな子は人間不信になっていた。はな子は鼻を使って見る人を威嚇するようになっていた。山川さんが来て6年、ようやくはな子はその手を舐めるようになった。しかし、はな子の体は大きなダメージを受けていて、栄養失調の影響か歯が抜け落ちてしまった。歯のないはな子の食事は、毎食20kgの野菜や果物を飼育係が細かく刻んだものにしていた。山川さんは、30年以上はな子に寄り添い続けた。1990年山川さんは引退、新しい飼育係と関係を深めてほしいとその後、はな子に会いに行くことはなかった。
山川清蔵さんの息子・宏治さん。父の後を受け継ぎ、はな子の飼育係となった。宏治さんは、ひとりぼっちのはな子に楽しみを与えようと、おやつをあげるふれあい体験を始めた。この頃、はな子は50歳すぎ。かつて来園者を威嚇していた危険なゾウは、人を近寄せるようになっていた。宏治さんは、人間だけに囲まれて40年以上生きてきたはな子に「自分を人間だと思っている」瞬間を感じることがあると話した。2016年最晩年のはな子の姿、当時国内最高齢の69歳だった。
山川清蔵さんの息子・宏治さん。父の後を受け継ぎ、はな子の飼育係となった。宏治さんは、ひとりぼっちのはな子に楽しみを与えようと、おやつをあげるふれあい体験を始めた。この頃、はな子は50歳すぎ。かつて来園者を威嚇していた危険なゾウは、人を近寄せるようになっていた。宏治さんは、人間だけに囲まれて40年以上生きてきたはな子に「自分を人間だと思っている」瞬間を感じることがあると話した。2016年最晩年のはな子の姿、当時国内最高齢の69歳だった。
住所: 東京都台東区上野公園9-83
URL: http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/
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