TVでた蔵トップ>> キーワード

「文化勲章」 のテレビ露出情報

記念すべき1人目の受賞者は世界新記録756本塁打を打った王貞治さん。当時日本では国を挙げてプロスポーツ選手を表彰するのにふさわしい顕彰がなかったため、新たな賞として国民栄誉賞が創設された。ここから国民栄誉賞の歴史が始まった。2人目の受賞者はヒット曲、丘を越えてや、柔を手がけ、その楽曲が古賀メロディーと呼ばれて愛された作曲家の古賀政男さん。3人目に受賞したのは俳優の長谷川一夫さん。主演を務めた作品「赤穂浪士」はNHKの大河ドラマで歴代瞬間最高視聴率となる53%を獲得。4人目の受賞者となったのは冒険家の植村直己さん。植村は昭和45年、世界最高峰の山、エベレストに日本人として初登頂。さらに世界で初めて五大陸の最高峰登頂に成功。その半生は植村直己物語として映画化され、配給収入13億円と大ヒット。5人目に受賞したのは昭和59年、アクシデントにも耐え見事世界一となった柔道・山下泰裕さん。山下さんはロサンゼルスオリンピックの男子柔道無差別級に出場。しかし2回戦で右足を負傷してしまう。その痛みに耐えて勝ち進んだ決勝戦。エジプトの巨漢のラシュワン。ケガを乗り越え金メダル獲得。そんな山下さんは現在、日本オリンピック委員会の会長を務めている。6人目に受賞したのは、鉄人の愛称で親しまれた広島東洋カープの衣笠祥雄さん。プロ野球公式戦で2131試合連続出場の世界記録を達成、その功績が認められての受賞となった。7人目は女性初の受賞者となった歌手の美空ひばりさん。名曲、川の流れのようになど多くのヒット曲で愛された。8人目に受賞したのは第58代横綱・千代の富士。小柄ながら豪快でスピード感のある相撲で人気を博した千代の富士は通算勝ち星が当時史上最多となる967勝を記録したことから受賞。9人目はヒット曲、青い山脈で知られ、ラジオ体操の歌の作曲なども手がけた藤山一郎さんが受賞。翌年、10人目に受賞したのは、あの国民的漫画の作者長谷川町子。長谷川町子は26歳のときに新聞の4コマ漫画としてサザエさんの連載を開始。その後、28年間でおよそ6500話が掲載され、サザエさんは国民に広く親しまれた。
11人目の受賞者は、去年放送の連続テレビ小説、ブギウギでも話題となったヒット曲を多数手がける作曲家、服部良一さん。て12人目には映画「男はつらいよ」シリーズの主人公、寅さんを演じた俳優の渥美清さんが受賞。13人目は累計260万枚を売り上げ、昭和37年に日本レコード大賞を受賞した大ヒット曲「いつでも夢を」を手がけた作曲家の吉田正さんが受賞。同じ年、14人目の受賞者となったのは映画監督としては初受賞となる黒澤明監督。七人の侍や隠し砦の三悪人、赤ひげなどの昭和を代表する時代劇を手がけ、世界のクロサワとして映画史に名を残した。15人目に受賞したのは、その笑顔で多くの国民に勇気を与えた高橋尚子さん。日本の女子陸上競技史上初の金メダルをたたえた表彰となった。そんなQちゃん人気を受けて、全国にある高橋選手ゆかりの練習コースには、高橋尚子ロードなどの名前が付けられた(岐阜県岐阜市、鹿児島県徳之島)。2009年、北国の春、高校三年生などで知られる作曲家の遠藤実さんと映画やテレビ、ラジオなど幅広い分野で活躍した俳優の森繁久彌さんが受賞。この年、最高齢での受賞となったのが当時89歳で受賞した俳優の森光子さん。森さんと言えば約48年間主演を務めた舞台「放浪記」。上演回数は2000回を突破。森さんのでんぐり返しはこの舞台の名場面となり、多くの人に愛された。2010年代に突入すると受賞ラッシュ。なでしこジャパン、レスリング・吉田沙保里、第48代横綱・大鵬、松井秀喜、長嶋茂雄、レスリング・伊調馨、、将棋棋士 羽生善治、囲碁棋士・井山裕太さん、フィギュアスケート・羽生結弦さん、車いすテニス・国枝慎吾さん。これまでに受賞を辞退した人が4人いる。1人目の辞退者となったのは、世界の盗塁王で知られるプロ野球選手の福本豊さん。昭和58年、当時の世界新記録である通算939盗塁を達成。その功績をたたえ国民栄誉賞を打診されたが辞退。その理由について福本豊さんは「自分の行動に自信がない、すぐ言った」とコメント。2人目の辞退者は六甲おろし、闘魂こめて作曲者の古関裕而さん。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月12日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち(オープニング)
今回は野見山暁治を特集。使っていた2つのアトリエを緒形直人が訪れる。

2025年6月24日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
プラチナファミリー小泉孝太郎&高嶋ちさ子 華麗なる一家をのぞき見
都内の高級住宅街にある一軒家を訪ねた。この一軒家は、中がマンションのような造りになっていて、家族15人が暮らしている。この家の主は、日本洋画界を代表する天才画家・絹谷幸二さん。イタリアで学んだフレスコという古典的技法を用いて、色鮮やかな色彩とダイナミックな絵を描く。82歳の今も現役。1974年に、洋画家の登竜門「安井賞」を当時史上最年少で受賞。現代アートの最[…続きを読む]

2025年6月3日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
2004年のアテネ五輪で日本代表監督に就任。長嶋ジャパンではメンバー全員をプロ野球選手にし、初の世界一を目指して始動。2004年3月、自宅で倒れる。診断は脳梗塞、右半身のまひと言語障害が残る。リハビリを続けながら、野球を未来につなげる取り組みを行なう。1990年からセコムのアンバサダーを務める。セコムはご功績に深く感謝するとともに謹んでご冥福をお祈り申し上げ[…続きを読む]

2025年6月3日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
安井曾太郎は日本の洋画界をリードし続けた巨匠。1888年に京都の木綿問屋に生まれ16歳のときに浅井忠が創設した聖護院洋画研究所に入所。ここで出会ったのが梅原龍三郎。梅原はこの男のデッサンには到底及ばないと言わしめた。19歳から7年間、フランスに留学し、アカデミー・ジュリアンで学んだ。学内コンクールでは賞を独占した。安井が留学中に心を惹かれたのがポール・セザン[…続きを読む]

2025年6月3日放送 19:00 - 21:00 日本テレビ
【緊急生放送】ありがとう長嶋茂雄さん ミスタープロ野球 永遠に…緊急特番 ありがとう長嶋茂雄さん ミスタープロ野球 永遠に…
長嶋茂雄は1936年千葉県生まれで立教大学でスター選手として活躍。大学卒業後は巨人に入団し背番号は「3」だった。V9期の巨人を支えた。HR現役通算444本など数々の輝かしい記録を残した。プロ野球史上初の天覧試合ではホームラン。1974年に現役を引退し、引退後は巨人の監督に就任した。自ら抽選を引き当てて松井秀喜を獲得。2度の日本一と5度のリーグ優勝に導いた。2[…続きを読む]

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.