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「文化大革命」 のテレビ露出情報

東洋のベニスといわれる中国・蘇州。11月に湖畔に立つ音楽ホールに小澤さんの教え子たちが集まっていた。3日後に控えた追悼コンサートに受けてリハーサルが始まっていた。その小澤さんの教え子の中国人指揮者のユロさんは22歳で世界三大オーケストラの一つに招かれるなど中国を代表する若手指揮者。追悼の曲に選んだのはベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。ユさんが小澤さんから最初に教わった曲だという。小澤さんとの出会いは音楽大学を目指していた15歳のとき。小澤さんが北京の音楽大学に指導に来ると聞きつけて大学の構内に潜入したという。それから4年後に才能を見出されたユさんは直接指導をうけることに。月に一度、日本に招かれて他の若手指揮者とともに基礎から叩き込まれた。ユさんが紹介したのは小澤さんに最初に指導してもらったという「運命」の楽譜。NHKに遺されてていた小澤さんお映像は若い演奏家たちに繰り返しあることの大切さを伝えていた。周りの音を聴くこと。周囲の音を聴くことで多様性が生まれ重要なことだと語っていた。
小澤さんの教えをユさんは今回の追悼コンサートでも実践しようとしていた。小澤さんの教えを今を大切にしている演奏家も。中国トップレベルの楽団で活躍してきたヴァイオリン奏者の王歓さん。王さんは小澤さんが開いた小澤征爾音楽塾に学生時代から何度も兄弟で参加してきたという。音楽塾では、アジアから選抜された若者たちが日本に招かれて小澤さんたちの元で1ヶ月間学ぶ。参加費から渡航費まで無料で、これまでに日本や中国、韓国から2000人が指導を受けた。小澤さんがアジアの若者たちの育成に情熱を注いだ背景には自身の経験があった。24歳で本場のクラシックに挑みたいと日本を離れた小澤さんは貨物船に無料で乗せてもらい1台のバイクと少しの着替えを手にヨーロッパに向かった。フランスに到着してすぐに参加した指揮者のコンクールで優勝をしたが、日本人にクラシック音楽がわかるのかという先見にさらされた。
逆境の中でも努力を重ねた結果ヘルベルト・フォン・カラヤンやレナード・バーンスタインに才能を見出され、世界のマエストロに上り詰めた。人に助けてもらい夢を叶え学んだことを若い音楽家に伝えたいと考えた。今回の追悼コンサートには小澤さんが愛した中国の曲も選ばれた。元々は中国の伝統楽器の二胡で弾く二泉映月。小澤さんがこの曲に感動しオーケストラに編曲した作品をかつて中国でも指揮した。中国の演奏家たちにとってもこの曲は小澤さんのために弾きたかった曲で小澤さんには中国との深い縁がある。生まれは1935年に旧満州で歯科医だった父と母、2人の兄と弟の6人家族だった。兄の俊夫さんは父は常々民族や国を超えて協調すべきだと口にしていたという。日中戦争が勃発し日本軍は中国各地に侵攻。戦況が泥沼化する中で小澤さんは5歳のときに日本に帰国した。戦後には小澤家では再び中国を訪れることが目標に。弟の幹雄さんは、日中の国交が途絶える中で指揮者になった小澤さんに日中の架け橋になることを期待したという。
しかし父は中国の地を再び訪れることなく亡くなった。父の死から8年後、小澤さんは中国を訪れた。母や兄弟と一緒に訪ねたのは幼少期に過ごした北京の家。この時、小澤さんにやりたいことがあったという。それは父の願いでもあった中国とのオーケストラとの公演。譜面台には父の写真が置かれていた。その歓迎会のスピーチでその胸の内を明かしていたという。音楽を通して日本人と中国人の心をつなぎたいと指揮台に立った。しかしリハーサルは難航し、中国の楽団員たちはクラシック音楽を弾き慣れていなかったという。その理由は10年続いた文化大革命。西洋のクラシック音楽は禁じられ楽団員たちは革命歌をひたすら演奏していたという。10年間音楽の自由を奪われていた楽団員たちと小澤征爾の共演。その衝撃を語るのは下祖善さん。文化大革命の前までオーケストラで指揮を取っていたというが、小澤さんが北京に来るまでに代理で楽団を指揮していた。眼の前に現れた小澤さんを見て、楽団員の目の色が変化したという。文化大革命で、一度は失われた中国のクラシック音楽。小澤さんの手によって再び息を吹きかえした。
この初公演で小澤さんは中国の曲も演奏したいとリクエストした。それが二泉映月。今回の取材で当時の音源が大切に保管されているという。音楽家を育てる上で小澤さんが大切にしたことがある。日本各地の村や町へ演奏する旅を通して音楽を届けることはどいうことか学生たちに考えてもらう。事前の宣伝は一切なし。学校の体育館や寺が会場。噂を聞きつけてやってきた人の中には普段はクラシック音楽を聴かない人たちも少なくはない。音響設備のない会場でも最高の音楽を届けようと小澤さんは学生とともにステージにあがった。この旅に大学生の時に参加した山本翔平さん。観衆が感動して泣いている人もいて人に与える影響をみたという。
山本さんは今はプロのヴァイオリン奏者として活躍している。小澤さんの教えを胸に地方の町を巡る旅を10年以上続けてきた。追悼コンサートまで後二日。日本から駆けつけたのはヴァイオリン奏者の豊嶋泰嗣さん。音楽大学の先輩の小澤さんと学生時代に出会い30年以上共演してきた。小澤さんが世界最高レベルの音楽を奏でようと仲間と立ち上げたサイトウ・キネン・オーケストラ。豊嶋さんは、コンサートマスターを任されて共に音楽を追求してきた。今回中国で小澤さんの教え子が集まると聞いて仕事の合間をぬって駆けつけた。小澤さんの音楽塾で出会った教え子たちと10年ぶりの再会だという。追悼コンサート当日には、最後のリハーサルにたちあっていたのは小澤さんの娘の征良さん。後進の育成に情熱を注ぐ小澤さんの活動を支えてきた。会場となった北京中心部の歌劇場。追悼コンサートには音楽を学ぶ学生らが招待された。小澤さんの中国初公演を共にした下さんも駆けつけた。
そして演奏会がスタート。阿炳の二泉映月が演奏された。ヴァイオリン奏者の靳哲さんは、1994年に小澤さんと共演した。旧満州の主要都市だった瀋陽に公共楽団があると知った小澤さんは是非共演したいと申し出たという。与えられた期間は4日間で設立間もないこの楽団と小澤さんは猛練習を重ねた。迎えた本番では靳さんは堂々たる演奏で小澤さんのタクトに答えたという。靳さんはこの時の感動を日記に残していた。演奏会ではマスネのタイスの瞑想曲が演奏されていた。さらに小澤さんの娘の征良さんからユロさんに楽譜が託される一幕も。生前愛用していた運命の楽譜。その演奏が行われた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月4日放送 19:58 - 20:56 テレビ朝日
ポツンと一軒家和歌山県のポツンと一軒家
和歌山県のポツンと一軒家を訪れ、主の君平さんと妻の銘さんに話を聞いた。家からはオーシャンビューが望めた。銘さんは北京生まれで四姉妹の長女。高校生の時に文化大革命があり、大学に進学できなかった。28歳で大学に進学し、大学院に入るため日本に留学。35歳で東京工業大学に入学。アメリカで脳の研究者になった。その後日本で就職し、君平さんに出会った。10年間夫婦で移住先[…続きを読む]

2025年3月17日放送 21:00 - 22:57 TBS
クレイジージャーニー奇界遺産フォトグラファー・佐藤健寿
奇界遺産フォトグラファー・佐藤健寿が、台湾・塩水を訪れた。塩水は、神様を祀る廟が人気のエリア。佐藤が、奇祭「塩水蜂炮」を取材する。佐藤が、祭りのメイン会場である月港武廟を訪れた。台湾の宗教施設の8割は、道教。武将の関羽は、商売の神様として神格化されている。

2024年12月2日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
1920年代の上海の様子が伝えられた。辛亥革命によって中華民国が成立したが、周辺には列強が支配する租界が残されて強い影響力を残していた。そうした中で中国共産党が誕生し、ソ連から資金提供を受けて革命を目指した。その中に毛沢東も含まれていた。中国国民党に攻撃される中で毛沢東は軍事指導者として頭角を表すようになった。その後、日中戦争が発生し共産党と国民党は手を結ん[…続きを読む]

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