「なぜ薬は病院ではなく薬局でもらうようになった?」というクイズが出された。正解はフリードリヒ2世が毒殺にビビったから。日本薬剤師会の山本信夫会長の解説。現在日本では約8割の患者が医師の書いた処方箋を薬局に持って行き薬をもらっている。これは1997年に当時の厚生省が患者の診察を行う医師と薬の調剤を行う薬剤師の役割を分ける指示を出したから。医師と薬剤師が業務を分担することを医薬分業という。医薬分業の仕組みは神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世が毒殺を恐れたことがきっかけといわれている。神聖ローマ帝国は10世紀から19世紀の間に現在のイタリアとドイツのあたりに存在した国。フリードリヒ2世はおよそ800年前にこの国の皇帝だった。18世紀のヨーロッパはさまざまな国で権力争いが起こっていた。池田鉄洋、目黒祐樹による再現映像。フリードリヒ2世は国の統治に優れていただけでなく数か国語を話しナポリ大学を設立するなど国民の知的水準を向上させそれまでの王の中で最初の近代的人間と評された。ときに町民に身をやつし人々の生活を探りながら近隣諸国の情報を集め自国の政治に役立てていた。当時、暗殺の方法のひとつとして用いられたのが毒。当時ヨーロッパの国々では権力者がたびたび毒殺されていた。中世ヨーロッパでは花の毒による暗殺が多かった。実際にジギタリスという花で暗殺されたという記録が残っている。花以外ではヒ素が使われていた。ヒ素は少量でも長期間とり続けると死に至る。ヒ素を見抜くために銀の器が使われた。銀はヒ素に含まれる不純物がつくと黒く変色する。中世ヨーロッパの王族や貴族は銀の食器で毒殺を防いだ。当時医学の先進国だったアラビアやペルシャではすでに薬剤師という職業があった。フリードリヒ2世は1240年に医薬分業=薬は薬剤師からもらうという法律を定めた。これが現代の薬局で薬をもらうルーツになった。その後日本にも伝わった医薬分業のシステムですが今では医師が処方した薬に間違いはないか薬剤師とダブルチェックできるほか病院の混雑緩和、待ち時間の短縮などにも役立っている。山本会長によると医者や病院の方針、離島や薬局に行けない場合は病院で薬を出すこともあるという。