石原良純が石原裕次郎に関する映像を鑑賞しながら深い絆を語る。1977年放送「徹子の部屋」の映像を紹介した。良純が裕次郎の優しを感じた初共演作は「西部警察 PART-II」。裕次郎が生涯出演した映画は100本以上。大スターを生み出したのは良純の父・石原慎太郎。弟・裕次郎をモデルにした小説「太陽の季節」が映画化し裕次郎のデビュー作となった。
昭和を代表する映画スター石原慎太郎は29歳の若さで独立プロダクションを立ち上げる。人生と映画化を大きく変える作品が「黒部の太陽」。三船敏郎と石原裕次郎の共演作。裕次郎は私財を投げ打ち制作にかけた。しかし当時の映画界では5つの大手映画会社があり俳優は専属契約した会社の映画しか出られなかった。日活の裕次郎、東宝の三船の共演はあり得なかった。5社の映画会社は2人をボイコットし「黒部の太陽」を自社の映画館では上映しないという圧力までかけてきたという。兄・慎太郎は映画会社の重役らに直談判し、裕次郎と三船の共演が認められた。CGなどない時代で命がけの撮影だった。「黒部の太陽」は観客動員数約734万人を記録。
昭和を代表する映画スター石原慎太郎は29歳の若さで独立プロダクションを立ち上げる。人生と映画化を大きく変える作品が「黒部の太陽」。三船敏郎と石原裕次郎の共演作。裕次郎は私財を投げ打ち制作にかけた。しかし当時の映画界では5つの大手映画会社があり俳優は専属契約した会社の映画しか出られなかった。日活の裕次郎、東宝の三船の共演はあり得なかった。5社の映画会社は2人をボイコットし「黒部の太陽」を自社の映画館では上映しないという圧力までかけてきたという。兄・慎太郎は映画会社の重役らに直談判し、裕次郎と三船の共演が認められた。CGなどない時代で命がけの撮影だった。「黒部の太陽」は観客動員数約734万人を記録。