出羽仁さんはイギリス国籍だった父から、戦時中3年8か月にわたって抑留されたと聞かされてきた。父・シディンハムさんは日本で生まれ育ち、大学の医学部で学んでいた。太平洋戦争の開戦でシディンハムさんの生活は一変する。開戦当日、大学で授業を受けていたシディンハムさんの元に警察がきてそのままとらえられた。全国各地で一斉に行われた抑留政策の目的の一つは敵国人となった外国人を日本人から保護すること。この政策を担った内務省の資料によると、もう一つの目的はスパイ活動の防止だった。抑留の対象としたのは敵国人の成人男性。政府は日本の機密情報が盗まれ敵国にわたってしまうことを恐れた。シディンハムさんはスパイ活動を行う可能性があるというだけで抑留された。抑留所では外出や外部との接触などの行動の自由が制限された。開戦から半年、日本の戦況が厳しくなる中、日本の抑留政策は拡大し、女性や高齢者も抑留された。日本人に英語などを教えて地域で慕われていた修道女なども含まれていた。イギリス人修道女の回想録には、抑留政策によって日本人の変化が記されていた。