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「東京大学」 のテレビ露出情報

DVや性被害、生活困窮など女性が抱える問題が多様化する中、その最前線で対応にあたるのが女性相談支援員。行政などの窓口で相談に応じるだけではなく、警察や病院、裁判所などとの連携、経済的支援を受けるための手続きなど困難を抱えた女性を中長期にわたって支える。責任ある仕事に従事する一方、厳しい労働状況に置かれていることが今回明らかになった。女性相談支援員の実態について研究している東京大学・小川真理子特任准教授は首都圏内で10年以上女性相談支援員として働いている女性への聞き取りを行った。この女性相談支援員のある日の業務によると、朝、最初の仕事はDV被害を受けた女性の保護命令手続きに裁判所まで同行。午後は住まいを追われて駆け込んできた女性からの緊急の相談に応じる。一時保護所の手続きに同行、庁舎で生活保護の申請をサポートした。女性は年度ごとに契約する非常勤で週4日勤務。残業する日も少なくない。女性相談支援員の厳しい労働状況について小川特任准教授はこれまでの調査結果を去年、公表した。およそ600人の調査から見えてきたのは知られざる実態。同じ職場にいる女性相談支援員の数について自分を含めて2人、自分1人だけと回答した人が5割以上。半数の支援員が心身の不調を抱えていた。ほかにも非常勤で働く人が8割。給与は月20万円未満が6割。ほかの職種と比べても厳しい待遇が浮き彫りになる一方、9割がこの仕事にやりがいを感じると回答した。小川さんはこの問題の根源に女性が弱い立場に置かれてきた社会構造があると指摘する。女性相談支援員の始まりは68年前に定められた売春防止法。売春を行うおそれのある女子の補導と保護更生のための法律でその対応にあたる婦人相談員という職業が設けられた。全国各地に相談の窓口が設けられたが法律上、相談員は非常勤と明記されていた。その後、女性に関するさまざまな問題に応じてストーカー規制やDV防止などの法律も施行。2年前には通称、女性支援新法が制定され性被害や離婚、貧困などの問題にも対象が広がるとともに婦人相談員は女性相談支援員に名称が変わった。今、必要なのは女性相談支援員が働きやすい環境。それが社会を変えることにもつながると小川さんは話している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月7日放送 22:00 - 23:00 日本テレビ
月曜から夜ふかし月曜から夜ふかし
蒲田の駅前にいた男性の願い事は宝くじがあたってほしいと答えたが貧しい人に大盤振る舞いがしたいという。次に沖縄出身の女性の願い事はカニになりたいだったが飼育していたカニがベランダから落ちて死んでしまったという。次に池袋にいた男性は今年の七夕は令和7年7月7日とスリーセブンの日。パチンコ店では勝てる可能性の高い台を揃えイベントをしている。男性たちはそのパチンコに[…続きを読む]

2025年7月7日放送 13:05 - 13:29 NHK総合
参議院選挙区選出議員候補者 経歴・政見放送(参議院選挙区選出議員候補者 経歴・政見放送 茨城県選挙区)
自由民主党・上月りょうすけ氏の政見放送。上月氏は「茨城県副知事などの経験を活かし参議院議員として2期12年間。茨城のため日本のためひたすらに走り続けてまいりました。これもご支援いただいている皆さまのおかげです。参議院議員として農林水産政務官、経済産業副大臣。そして様々な仕事を経験させていただきました。物価高の今、皆さんの暮らしを守ること、医療福祉、子ども子育[…続きを読む]

2025年7月6日放送 13:05 - 13:45 NHK総合
首都圏いちオシ!中川家礼二の沿線いちオシ!JR山手線SP 下町編
田端駅、駅前のいちオシは田端文士村記念館。明治から大正にかけて、東京藝術大学や東京大学の関係者が暮らすようになったことから田端は芸術家の街として知られるようになった。芥川龍之介は学生の頃から亡くなるまでこの街で暮らした。当時の貴重な映像もこの施設で観ることができる。

2025年7月6日放送 12:00 - 12:54 テレビ東京
選挙サテライト2025(選挙サテライト2025)
財務省のデモについて伊沢は「組織を崩す論点の絞り方は単純化が過ぎる。一方で官僚組織と政治家は適度な緊張感と距離を保つべき。」などと指摘。豊島アナは「日本は伝統的に減税より給付方式を取ってきた。財務省が予算編成に関わっているのは確かだが、最終的には国会議員が予算を承認する。そのあたりも意識して票を投じる必要があるかもしれない。」などとコメントした。
参院選の[…続きを読む]

2025年7月5日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
1941年に実業家の息子として生まれた伊東豊雄。東京大学の建築学科を卒業後にメタボリズムの理論派で独創的な建築を数多く残した菊竹清訓の元で学んだ。1970年に30歳で事務所独立。住宅のシルバーハットの斬新な設計で日本建築学会賞を受賞。八代市立博物館をかわきりに公共建築の設計も行った。しかし失意に落とす出来事は、自分の設計した建物に向かうためにタクシーに乗って[…続きを読む]

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