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「東京美術学校」 のテレビ露出情報

田中一村は1908年に、栃木県に生まれ5歳のときに東京に引っ越した。7歳のときの作品は、その卓越した筆使いで、彫刻家の父から米邨という画号を与えられた。早熟の天才は、すでに一途で頑固な少年だったというが画面の欠損は父が筆を入れたのが気に食わず破り取ったものとされる。その圧倒的な画力で気鋭の南画家として頭角を現す。点描による水面のきらめきの絶妙。全国美術家名鑑に最年少で名を連ね神童と呼ばれ18歳で東京美術学校日本画家に現役合格したが2ヶ月で退学した。学校の記録には、ただ家庭の事情とされていた。その後、一村は画壇に属さずに師匠も持たずに独立独歩で絵画の道を歩み続け新しい日本画を生み出そうとしていた。しかし支援者たちの賛同を得られずに苦悶と模索の日々を重ねた。転機となったのは白い花という作品。画号を米邨から一村に変えた最初の作品。ヤマボウシの白の花と緑の葉の爽やかなコントラストでトラツグミと呼ばれる研ぎ澄まさた迫真の描写で第19回青龍展で39歳で待望の初入選を果たす。その翌年に出品した秋晴は自信作だったが落選。その後10年はいろいろなコンクールに挑んだがことごとく落選した。日本画家の荒井経さんはそもそも審査をされることが嫌で、自分の絵の価値は自分で決めると答えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月8日放送 13:45 - 13:50 テレビ朝日
東京サイト(東京サイト)
「田端文士村記念館」を紹介。田端の地で暮らした芥川龍之介などの原稿や作品を見ることが出来る。田端文士芸術家村は明治の後期から昭和20年ごろまでの約50年間でのべ100人以上の文士や芸術家たちが暮らしたという場所。明治22年、上野に東京美術学校(現在の東京藝術大学)が開校して、ぎりぎり歩いて通える距離で若い芸術家たちが移り住むようになった。芥川龍之介が転居して[…続きを読む]

2024年9月29日放送 0:45 - 1:35 NHK総合
バラカンが見た奄美大島(バラカンが見た奄美大島)
一村は幼少の頃から画才を発揮。7歳の時に描いた「菊図」は欠落した部分があり、芸術家の父が手を加えたことに腹を立てた一村が破いたと言われている。1926年に東京美術学校に入学するが、2か月で退学。商売として描くことに疑問を感じ始めた一村は、23歳の時に心から描きたいと思うものを描きあげスポンサーが離れた。千葉の農村に移り住み、農業やアルバイトで生計を立てながら[…続きを読む]

2024年8月17日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
長野県上田市の郊外に塩田平と呼ばれる田園が広がっている。木立の中に簡素な建物がある。今日の作品「無言館」は戦没画学生のたちの作品をおさめる世界でも珍しい美術館。無言館は祈りの形をしていて、重い扉の先に館内には、戦没画学生の絵130名の油絵や日本がや彫刻などが写真や手紙などの資料とともに展示されている。特攻服に身を包んだ少年兵の姿の作品は絵の具が剥落し、その表[…続きを読む]

2024年7月9日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団浅井忠の油絵
依頼人・中山雄基さんが登場。依頼品は骨董好きの義父がくれた「浅井忠の油絵」。土のニオイのするリアリスムと評価された重要文化財「春畝」、作者は浅井忠(1856~1907)、日本洋画界の先駆者。1856年佐倉藩士の長男として江戸に生まれた、21歳の時に工部美術学校に入学、1889年「明治美術会」結成、1903年「聖護院洋画研究所(現・関西美術院)」設立、1907[…続きを読む]

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