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「東京美術学校」 のテレビ露出情報

明治・大正・昭和を生き抜いた近代日本画の巨匠・横山大観。圧倒的な気迫と卓越した筆で日本画の未来を切り開こうとした美の国士。明治元年、水戸藩士の家に生まれ、19歳の時、東京美術学校の創立を知り、画家になろうと決意。にわか勉強で受験すると見事合格。当時社会は急速に西洋化する中、校長の岡倉天心はあえて東洋美術の素晴らしさを解き、日本独自の芸術を発展させるよう指導。横山大観はこれに深く共鳴し、天心を師と仰いだ。東洋美術の真髄を掴むべく、大観はひたすら古典名画と対峙し、その記憶を頼りに模写。腕を磨き、卒業制作では最高点を獲得した。菱田春草らと共に、29歳の時、日本美術院を創設。空気を描く方法はないかとの天心の問いに触発され、挑んだのがハケでぼかす技法。しかし、世間からは朦朧体と揶揄され、作品は売れず。日本美術院は経営難に陥り、上野から五浦に移転。貧困の中でも黙々と絵筆を握り、独自の画境を切り開いていった。 横山大観が目指したのは写実そのものではなく、気品や静寂といった深い精神性を絵に宿すこと。作品は人々の心を掴み、名声は高まっていった。55歳で描いた大作「生々流転」は独自の水墨技法を駆使し水の一生を描いたもの。「夜桜」は61歳の時、ローマで開かれた日本美術展のために描いたもの。日本古来の美を世界に向けて歌い上げた。89年の生涯を閉じたのは昭和33年。死後、大観の脳は東京大学医学部で保存されることになった。脳の萎縮は60歳前後で驚くべき若さを保っていたという。依頼品は横山大観の作・3点。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月12日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビNHKスペシャル 老友へ ~83歳 彫刻家ふたり~
彫刻家・舟越保武さんが脳梗塞に倒れたのは8年前。一命を取り留めるも右手が不自由に。作家生命は絶望的とも思われたが、入院中の舟越さんを支えたのは親友・佐藤さんからの手紙だった。佐藤さんは「元気な自分が見舞いに行くと気持を乱すのでは」と考え、手紙だけを送り続けた。舟越さんは退院後、掛け軸に書いた手紙を贈った。佐藤さんへの感謝の旨が綴られている。
彫刻家・舟越保[…続きを読む]

2025年9月12日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン蔵出しセレクション
きょうの時をかけるテレビは1995年放送の「老友へ 83歳 彫刻家ふたり」。佐藤忠良さんと舟越保武さんの半世紀を超える友情を収めたドキュメンタリー。
佐藤忠良さん83歳。日本を代表する彫刻家。朝8時から暗くなるまで、休むことなく粘土との格闘を続けるのが佐藤さんの日常。83歳の佐藤さんには60年、共に彫刻の道を歩き続けた同じ年の親友がいる。舟越保武さん、佐藤[…続きを読む]

2025年8月16日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
菱谷良一さんは15歳の時に美術教師になることを夢見て旭川師範学校に入学。当時北海道では現実の生活を良くするため身の回りを観察しありのままを絵にする生活図画教育が盛んだった。それを実践していたのが美術部教師・熊田満佐吾さん。1941年1月、熊田さんは特高警察によって逮捕され9月には菱谷さんも逮捕された。学生が語り合う姿を描いた作品「話し合う人々」を特高警察は共[…続きを読む]

2025年7月12日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
野見山は福岡県筑豊で生まれた。7人兄弟の長男として生まれた。父親は地元で名を馳せた炭鉱主で絵さえ描いていれば楽しかった子供時代。その後中学を卒業すると東京美術学校に進学し画家を目指した。しかし第二次世界大戦が発生し、戦況悪化で学生も戦場へ駆り出された。戦地で肋膜炎を患った野見山は日本へ返されて陸軍病院で終戦を迎えた。野見山の初期の代表作は故郷を描いた炭シリー[…続きを読む]

2025年5月25日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
福岡県久留米市の依頼人・嶋俊幸さん。地元のお城である久留米城跡によく来るという。お城好きが高じて10月から1か月ちょっとかけて車で日本一周のお城巡りの旅に出たという。お宝は、開業医だった義父が他界後、診療所を片付けていたところ手術室の戸棚から出てきたという。作者を調べると、福岡出身の有名画家・児島善三郎の作品だった。児島善三郎は、西洋の画法に取り組みながら日[…続きを読む]

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