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「東京藝術大学」 のテレビ露出情報

決勝に残った4作品を紹介。1本目は音声入力で動かすパズルゲーム「ゲロゲロ!」。ゲで左、ロで右に動かしペロで敵を食べる。声で操作し友達カエルを目指す。開発したのは台湾からchaatennさん。かわいく親しみやすいデザインと誰もが楽しめる音声入力をマッチした点が評価され決勝大会へ進出。しかし審査員からゲーム構成がシンプルなあまり伸びしろがないと意見が出た。2本目はまちおこしノベルゲーム「ふがいない空の街」。ゲームの舞台は岐阜県大垣市。3人で挑む今回は他のチームとは違いゲーム作りを通してまちおこしをしたいという。大垣市の魅力をいかにゲームにするかシナリオ担当が街をリサーチし素材を元にゲームを構築した。グラフィックには大垣市の風景が使われリンクから現実の情報につながるようにした。さらに店と交渉し、レビュー写真にゲームのキャラクターの影が映り込み現実世界にもゲームの痕跡を忍ばせた。審査員はゲームをまちおこしに使うコンセプトと現実世界を侵食していくシステムを評価した。ただ大きな問題もある。指摘されたのは物語冒頭から主人公の状況を説明したり、まちづくりの情報を集めていくだけのストーリーに抑揚がない点だった。3作品目はクライミングアクション「Paletopia」。制作したのはチーム巫女ラッシュ。審査では緻密に作り込まれた世界観と登ることに特化したストイックさが評価され決勝大会を決めた。しかしストイックは高く評価される一方、登るだけというゲーム難易度も伝わる人と伝わらない人がいると指摘された。4作品は一台のパソコン画面を2台のスマホで操作する「指・ひもカギ」。制作者は薄羽涼彌さん。プロトタイプでは線の上を2台のスマホで操作し落ちてくるものから守るものだった。その後、いくつかプロトタイプを制作し2台のスマホを使うのはそのままに動かすものを色々試した。一次審査を突破後も作り変えながらカギを運ぶゲームに進化させていった。2台のスマホでゲームを操作する独自性と共同作業で生まれるコミュニケーションに審査員から高い評価を得たかと思いきや薄羽さんは用意が難しいので2台のスマホで1台の画面を操作するというこだわりの操作のスタイル変更を示唆。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月16日放送 15:40 - 16:54 テレビ東京
よじごじDays東京で出会う!しったげ おもへな秋田県
「優美堂」は秋田犬のののちゃんと触れ合えるカフェ。オーナー・中村政人さんは忠犬ハチ公の生まれ故郷である秋田・大館市出身。中村さんは様々なアートプロジェクトを進めているアーティスト。優美堂も中村さんのアートのひとつ。戦後に開業した額縁専門店をリノベーションし2021年んギャラリー&カフェとして誕生。写真集「あいにいける秋田犬 のの」も人気。

2025年9月13日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち山口英紀×シシド・カフカ
写実水墨画を手掛ける山口英紀さん。画家のほか、東京都立上野高校で書道の非常勤講師として勤務。20年以上、教師をしながら絵画制作を続けている。水墨画を描いていることを生徒に伝えたことはない。子どもは3人、共働きの妻と火事を分担しながら制作に励んでいる。水墨画に集中できるのは夜明け前の時間帯だけ。
写実水墨画を手掛ける山口英紀さん。高校時代は書道部。きっかけは[…続きを読む]

2025年9月7日放送 20:50 - 21:54 テレビ東京
家、ついて行ってイイですか?静かな情熱燃やすオンナ達SP
JR原宿駅前で出会った原宿ファッション全開の女子に「家、ついて行ってイイですか?」とお願いすると、このあと友人の家に行くと断られてしまった。続いて出会ったのは飲んでいたという画家のりつこさん(29歳)。東京藝術大学で油画を専攻したという。タクシー代を支払う代わりに家までついて行った。推定距離は2.3km、料金は1,400円だった。家の中にエレベーターがあった[…続きを読む]

2025年8月30日放送 15:05 - 16:35 NHK総合
美の壺美の壺スペシャル 皇居
戦争で焼失した皇居・宮殿は高度経済成長期に再建が始まった。設計では”君主”から”象徴”へと変わった天皇像への対応が課題となった。設計を担当した吉村順三は明治宮殿で採用されていた書院造ではなく寝殿造を採用。寝殿造の持つ装飾が少なくて水平に伸びやかに広がる空間を抽出して取り入れた。また皇居を建てる際、新年一般参賀などで多くの国民が集まる東庭を作るために建物を南向[…続きを読む]

2025年8月24日放送 12:54 - 15:05 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
イラストレーターの生頼範義は1935年に兵庫県・明石市に生まれ、高校卒業後に東京藝術大学・絵画科に入学した。学生時代は人物デッサンに注力したがこれ以上教わることがないと悟り3年で中退し、アルバイトをしながら作品を作り続けた。25歳の時に銀座で初めて個展を開き、1962年には結婚を機にイラストレーターとして活動を始めた。1966年に手掛けた吉川英治全集の新聞広[…続きを読む]

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