戦争で焼失した皇居・宮殿は高度経済成長期に再建が始まった。設計では”君主”から”象徴”へと変わった天皇像への対応が課題となった。設計を担当した吉村順三は明治宮殿で採用されていた書院造ではなく寝殿造を採用。寝殿造の持つ装飾が少なくて水平に伸びやかに広がる空間を抽出して取り入れた。また皇居を建てる際、新年一般参賀などで多くの国民が集まる東庭を作るために建物を南向きに配置する「天子南面」を採用しなかった。さらに一般参賀の時に皇族方が並ぶ長和殿のベランダは驚くほど低い作りになっており、一般参賀に訪れる国民との距離が近くなるようになっている。吉村の基本設計後、建設は多くの人に引き継がれ、現在の宮殿は昭和43年の秋に完成した。