菅直人首相(当時)が掲げた「創造的復興」は被災地に新たな価値を生み出し、競争力ある地域に生まれ変わらせるというもの。被災した自治体が企業誘致などに使えるよう、補助制度を用意した。福島・川内村では28億円を投じ、工業団地を造成。だが、約7割は未使用となっている。26年1月、遠藤村長は都内で開かれたセミナーに出席し、村の工業団地への進出を呼びかけた。原発事故後、3000人が暮らしていた川内村は全村避難となった。事故から10カ月後、遠藤氏は帰村を宣言。産業振興にも着手してきた。村に暮らしていた中学生が「田舎に帰りたい」などと綴った手紙が遠藤氏にとって大きな支えになったという。当初、15の企業が工業団地に進出する意向を示していたが、実現したのは4社。うち2社は経営難に陥った。
川内村の工業団地は14年度中の完成を見込んでいたが、2年以上も遅れた。各地で復興工事が進んでいたため、人材獲得競争、重機などの奪い合いは苛烈を極めたという。また、川内村は高速道路へのアクセスも良いとは言えなかった。進出を断念した星勝氏は川内村で帰村が宣言されたからといって多くの住民が戻るとは言えず、安定的な雇用を確保できるのか見通しは暗かったと振り返った。元復興庁の岡本氏は「人に着目した復興へ転換しなけりゃならなかった。我々は気付いてやりましたが、道は半ばだった」と語った。
川内村の工業団地は14年度中の完成を見込んでいたが、2年以上も遅れた。各地で復興工事が進んでいたため、人材獲得競争、重機などの奪い合いは苛烈を極めたという。また、川内村は高速道路へのアクセスも良いとは言えなかった。進出を断念した星勝氏は川内村で帰村が宣言されたからといって多くの住民が戻るとは言えず、安定的な雇用を確保できるのか見通しは暗かったと振り返った。元復興庁の岡本氏は「人に着目した復興へ転換しなけりゃならなかった。我々は気付いてやりましたが、道は半ばだった」と語った。
