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「東日本大震災」 のテレビ露出情報

横浜市の観光名所の山下公園。その地中には瓦礫が埋まっている。実はここは関東大震災の瓦礫を埋め立てて造られた。横浜都市発展記念館の研究員・吉田律人さん。写真資料などから震災の被害を研究している。山下公園が出来たのはそれまで海だったところだった。住民たちが潮干狩りを楽しむことができる憩いの場だった。その日常を一変させたのが関東大震災。横浜市全域が壊滅的な被害を受け、多くの木造住宅が倒壊したり焼けたりした。特徴的だったのが外国人が多く住んでいた山下町。震災後の写真には住宅などに使われていたレンガや石材が瓦礫になっているのが写っている。吉田さんは撤去に相当な時間がかかり復興が遅れたのではないかと考えている。遠くに運ぶことができない瓦礫をどうするか。目をつけたのは近くの海岸だった。市民の憩いの場を埋め立てるしかなかった。埋め立て中の写真にはトロッコで運んだ瓦礫を下ろしている様子が写っている。公園の完成までに7年の歳月がかかった。吉田さんは「山下町の海岸線を埋め立てるという知恵は重要な決断だった」と指摘。東日本大震災の復興に関わった仙台河川国道事務所・日野口厳さん。大量の瓦礫を分別した上でコンクリートと混ぜて盛り土にし29kmの堤防を造った。瓦礫処理の詳細が分かる写真は災害に備えて予め復興計画を立てる際にも重要だという。「山下公園の話などをつなぎ合わせて被災前に事前の復興計画や技術的な情報としてこれから考える自治体に役立つ情報源ではないか」と指摘。大量の瓦礫の上に造られた山下公園。100年の時を経て再び住民の憩いの場となっている。被災当時の写真は今月26日から横浜開港資料館で展示予定。NHKに残された震災当時の写真のうち神奈川の当時の写真を紹介。今回は山手町の横浜外国人墓地。墓石が崩れ移動してしまっている。遠くには市街地が写っているようだ。山手町には多くの外国人が暮らしていた。高台で地盤も堅いが、斜面や窪地を埋め立てて建物を建てたため多くが倒壊し火災にも見舞われた。外国人墓地は住民たちの避難所にもなった。現在の外国人墓地を紹介。写真の場所は特定できなかったが、今も横浜を見守っているかのよう。NHKアーカイブスのホームページでは震災当時の写真をウェブサイト上で公開している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月1日放送 19:30 - 19:57 NHK総合
クローズアップ現代“美しい故郷を守りたい” 能登半島地震 集落の再生なるか
故郷に住み続けたいという思いと、社会的なコストもかかる。澤田雅浩さんは社会的なコストが故郷に住み続けたいという人だけに投入されていると見れば、1人あたりにかけられる費用が大き過ぎるという意見になるかもしれない、彼らは地域に戻ることは豊かに農山村を維持することになる、社会全体が地域に戻ることでの利益を教授できるのであれば必要なコストをかけていく議論をしていくべ[…続きを読む]

2024年7月1日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
きょうで能登半島地震の発生から半年。これまでに熊本地震を上回る281人が亡くなったことが確認され、3人が行方不明になっている。津波の被害を受けた地区では、まだ避難先から戻っていない人も多い。きょうも、住宅の片づけを続けている人がいる。珠洲市の1次避難所、生涯学習センターには、自宅の修理が終わらない人など、今もおよそ50人が身を寄せている。石川県内でいまだに1[…続きを読む]

2024年7月1日放送 18:10 - 19:00 NHK総合
首都圏ネットワーク(ニュース)
過去に被害を受けたところが液状化することを再液状化というがこれを防ぐため東日本大震災で被害を受けた千葉市では地域全体で対策を進めている。千葉市美浜区は1600棟余りの住宅で液状化の被害が出た。磯辺地区に暮らす小川逸郎の自宅も庭から砂や水が噴き出し住宅が傾いて半壊した。この地区では行政と住民が連携して再液状化を防ぐ対策を進めてきた。地下水位低下工法と呼ばれる地[…続きを読む]

2024年7月1日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース(仙台局 昼のニュース)
東日本大震災の津波で職員など43人が犠牲になった南三陸町の旧防災対策庁舎はきょう、県から町の所有となり今後、町が震災遺構として保存することになる。防災対策庁舎は遺族や住民の間で保存か解体かで意見が分かれ2031年まで県が維持管理することになっていたがことし3月、町が庁舎を所有し震災遺構として保存する方針を明らかにした。庁舎が町に返還されたのに合わせて佐藤仁町[…続きを読む]

2024年7月1日放送 14:00 - 14:05 NHK総合
ニュース・気象情報(ニュース・気象情報)
東日本大震災の津波で町の職員など43人が亡くなった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎は遺族や住民の間で保存か解体かで意見が分かれ、2031年まで県が維持管理することになっていたが1日から町の所有になった。今後、町が震災遺構として保存することになる。

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