東日本大震災の発生から13年が経ち、あの日の経験など様々な思いを取材。福島県の南相馬市に住む家族は津波で妻を無くし2人の息子を育て上げたが父親は13年前の選択が正しかったか今も自分に問い続けていた。父親の三浦良幸は震災の半年後に脳梗塞を患い左半身に麻痺が残る体で毎朝2人の息子の為に朝食を作っていた。兄の悠さんは火力発電所に務め弟の光さんはゴム製品を加工する会社に務めていて父と子3人で暮らしていた。良幸さんの妻である浩美さんは沿岸部にある実家に向かう途中で津波に飲まれひと月後に遺体で発見。良幸さんは亡くなった妻の顔を子供達に見せず良幸さんはこの事をずっと思い悩んでいた。震災から4年後の2015年にも三浦家族を取材した事があり自宅周辺の放射線量が高かった為、当時は仮設住宅で生活をしていた。3人は亡くなった浩美さんの話を面と向かってする事は無く震災から13年が経った今も浩美さんの話をする事は殆ど無かった。月命日の2月11日は3人が浩美さんの仏膳に手を合わせ妻の最後の顔を見せなかった事について子供に聞いてみると、悠さんは「見たかった反面、見るのが怖かった」光さんは「当時は自分では分からないくらい思い悩んだだろうし、それで決めた事なら良いと思う」などと語っている。13年思い続けた事を言葉にして伝えあった親子3人はこれからも支え合いながら暮らして行くという。